11月4日(土)晴れ 6時起床 ドイツ・ベルリン市

 ベルリンの朝は遅い。朝食をとってからホテルの周辺を歩いたが、週末と言うこともあって、なかなか市民の姿を見かけない。ホテルマリオネットベルリンはベルリンの郊外にあり、旧東ドイツ領、1990年の東西ドイツ統一後、西ドイツから移り住んできた富裕層からなるしょうしゃな住宅地区の一角にある。
 通訳の話によれば、東ドイツの人の服は一見してわかるそうで、地味で質素。これからの一体化はまだまだ道遠しのようである。今、南北朝鮮の統一が、本年6月15日の劇的な頂上会談によって開始されたが、一つの先例として参考になろう。
 この日は最後の視察先であるポツダム広場を中心とするベルリン市の再開発計画の実施を見学する。ベルリンの再開発を是非見学したらいいと勧めたのは、君島経済局長。早速計画に組み込まさせていただいた。
<ベルリン市の今日までの経過>
 ベルリンには、1961年8月13日一夜にして「壁」が築かれ、東西ベルリンが分断された。東ベルリンから西ベルリンに入ろうとするものは、東ドイツ軍の監視の下、幾多の血が流されたことか。すでに殆どの壁は撤去され、ほんの数十メートルが記念碑的に残されているだけである。1989年11月9日、今でも思い出す今でも思い出すのは、川崎市長選の真っ最中、告示後3日目だったと思う。ベルリンの壁を打ち壊し、ブランデンブルグ門の上に東西 ドイツの若者がよじ登ったあの場面を思い出す。歴史の流れというものは何人の力を持っても抑えることは出来ないと言うことを痛感させられた。余談ではあるが、あの当時高橋清候補の情勢は決して有利ではなかった。それが日増しに勢いがついてきたのは、ベルリンの壁の崩壊が作用したのではないかという私の勝手な推測である。そういう私にとっても思い出のベルリンの壁の崩壊であった。

 1990年ドイツは統一され、ベルリンはドイツの首都に返り咲いた。1999年には連邦議会も移転し、ポツダム広場を中心とした再開発が始まった。

現在修復中のブランデンブルク門
(幕が掛かっており、
その中にクレムリン宮殿が描かれている)

<ポツダム広場を中心とした再開発>
 再開発地区の中心に、センター正式名称INFOBOXが建設され、その案内役のグンベルトサロネック氏がこと細かに説明してくれた。この再開発が終了するとこのセンターは取り壊され、サロネック氏は失職するという。とりあえず2006年がその予定。
 まず、インフォボックスはダイムラークライスラーベンツ社、ソニー、ドイツ鉄道、ドイツテレコムなど広場に関係する企業の共同出資で設立された再開発情報センターである。
 インフォボックスの屋上に上がるとポツダム広場の広角的な再開発現場が一望に見渡せる。再開発終了後は、インフォボックス跡地がポツダム広場として残り、形は八角形となる建物が建設される予定。このポツダム広場再開発を中心としたセンター街とティーアガルテン自然公園(200ha)を挟んだ地下鉄の新駅を中心とした再開発計画が進行中である。
 東ベルリンという全くの手つかずの広大な土地が統一によって手に入った。これを貴重な資産としてこれから両国の人々の手によって新たなまちづくりが始まった。東西ドイツの人々が統一して良かった象徴の一つとなるモニュメントがベルリン市の再開発だったような気がする。当初ベルリン市は2000年オリンピックをシドニーと争って2000年完成を目標に進めてきた。残念ながら、シドニーにオリンピック開催はもっていかれたため、若干計画は遅れているそうである。しかしこの国の勤勉性は随所に表れている。何と言ってもドイツの全土から大型観光バスをつらねて視察に来ているのには驚かされた。例えば横浜みなとみらいに全国からバスで日本の人々が見学するなんて言うのはあまり見たこともない。ぜひベルリンのまちづくりが川崎のモデルになるように期待をしたいと思う。

11月3日へ    11月5日へ