第16号
川崎、桜本にまた名物がひとつ誕生!
−韓国国宝レプリカ「エミレの鐘」−

 桜本バス停前のポケットパーク「九福神」にまた名物がひとつ加わる。時期はまだ固まっていないが、できればワールドカップサッカー大会が行われる5月〜6月に実現できれば良いと地元は期待している。韓国国宝のレプリカ「エミレの鐘」がいよいよ川崎にやってくる。

2月19日 桜本ポケットパークに仮置した竹ひごで編んだ「エミレの鐘」

「そもそものなれそめ」
 今から9年前、桜川公園を舞台に始まった「おおひん地区春の祭り」に当時、大韓民国横浜総領事に就任したばかりの柳鐘玄(ユ・ジョンヒョン)氏が見学に来られた。(氏は1992年から94年まで在任)食事をとりながら柳総領事から、「韓日友好の印として、民団中央本部にある『エミレの鐘』を川崎市に寄贈したいと思うがどうか」という提案があった。まだその頃は、「おおひん地区まちづくり協議会」も始まったばかり、大韓民団京幾道富川(プチョン)市との交流もスタートしたばかりであった。正直言ってこんな形で進行するとは私も考えていなかった。柳総領事は赴任期間3年間のうちに、民団中央本部から、川崎市への寄贈の話を独自に進め、1996年、川崎市と富川市の友好都市提携の記念として、寄贈を計画した。
 レプリカとはいえ、国宝であり寄贈を受けるなら、川崎市民特に南部地区市民の憩いの場所である「桜川公園」を適地としたらどうかという提案が、「川崎コリアンタウンを目指す料飲業者の会」田平萬(チョン・ピョンマン)理事長よりあった。川崎市にも相談をしたが、ちょうどその頃「桜川公園」の改修工事の話が持ち上がり、残念ながら、改修は5年計画で、2000年着工2005年竣工ということで一時立ち消え状態になった。そこへ飛び込んできたのが、2000年6月電撃的南北統一会談のニュース、すでに話は進んでいた統一のための集会の準備会議の中で、コリアンタウンの田平萬氏(前出)より、「エミレの鐘」はどうなっているかという質問があった。現状立ち消え状態だから、この事態を打開するためには、桜本小学校で開催される「共同宣言支持歓迎、川崎同胞ハナ(心は一つ)フェスティバル」に来賓として出席される高橋市長(当時)に、寄贈したい旨の提案をしたらどうかと水を向けた。話はとんとん拍子に進み、ぜひお受けしたい、ついては適地を検討するとの返答が市長よりあった。大韓民国民団川崎支部趙在龍(ジョー・ジェリョン)団長、コリアンタウン田理事長、川崎韓国商工会議所鄭在珠(チョン・ジェス)会長と川崎市青木総務局長(当時)との会談がもたれ、市側より第三庁舎裏庭の噴水前に設置したいとの提案があり、韓国側も喜んで合意した。
 ところが、年が明けると、にわかに教科書問題をめぐって、日本と東アジア諸国の関係が険しくなる。市当局としても、時期が適していないとして「エミレの鐘」との移設は一時凍結状態となった。そこに救世主が現れた。桜本商店街振興組合渡辺正理事長だった。桜本商店街Lロード入り口のポケットパーク「九福神」に韓国国宝をぜひ招致したいとの申し入れがあり、韓国民団、在日本朝鮮人総連合会川崎支部、そして、桜本商店街の三者会議が持たれた。席上、民団からは、第三庁舎前で話が決まっていたのに、若干残念な思いもあるが、在日韓国・朝鮮人同胞の多住する桜本であるなら同胞の心の寄りどころになろう。また総連からは、南北統一のシンボルとして、三十八度線を越えていく出発点であるとの発言をいただき、2月19日には三者立会いの下に、現地ポケットパークに現寸大の「エミレの鐘」の模型が仮置され、当日参加した臨港警察からもOKのサインが出た。その後、2月25日、第7次川崎市民訪問団が富川市を訪問し、元恵栄(ウォン・ヘヨン)市長から、富川特産の石で作った台座をプレゼントするという提案を託された。3月議会での質問に総務局長は、設計の中に反映したいと答えた。4月現在、設計中であるが早い時期に「エミレの鐘」を川崎桜本で見たいものである。

2月19日 桜本ポケットパークに仮置した竹ひごで編んだ「エミレの鐘」

<「エミレの鐘」レプリカの由来>
 「エミレの鐘」は愛称で正式には「聖徳大王神鐘」と呼ばれている。重さは約23トン、高さは3.33メートル、口径2.27メートルの巨鐘。8世紀に作られ、東アジア最大の梵鐘、華やかな文様や独特の様式の優れた造形美や悲しい伝説を持った国宝で、韓国の慶州(ギョンジュ)国立博物館に所蔵されている。
 「エミレの鐘」と新羅の景徳王が父親の聖徳王のために作ろうとしたが、志なかばで世を去り、次王の恵恭王が20年がかりで771年に完成させた。8世紀の統一新羅の金属工芸の卓越した水準を示す傑作の一つとされている。製作が難航する中で、寄進に歩いた僧侶に幼女を抱いた婦人が「布施の代わりにこの子をお連れ下さい。」と差し出した。「エミレ(お母さん!幼女が母を呼び求めた時の言葉)の鐘」とも呼ばれ、鐘の口径は八稜形で、上部には竜の頭と音管がある。特に音管は韓国の鐘にのみ見られる独特な構造で、澄んだ美しい音を出すという。山のように大きく堂々たる鐘はバランスがよく、鐘の音も澄んで清らかで長い余韻は永遠へと楼く。
 「エミレの鐘」のレプリカは、全く原寸大の鉄製の鋳造で1970年、大阪で行われた万国博覧会に、韓国政府が製作して韓国パビリオンに展示された。その後、東京港区麻布にある大韓民国民団中央本部が譲り受けて保管してきたが、2001年5月15日、民団中央本部より同川崎支部へ譲渡され最終譲受者は川崎市となった。

韓国の国宝 「エミレの鐘」

<これからのとりくみ>
 地元の川崎桜本では、今受け入れのための準備を進めている。一つは「エミレの鐘」愛譲会の設立。地元に愛される鐘として響いてほしい、こんな願いに基づいて準備を予定している。幸い毎週日曜日、ポケットパーク一帯を町会を中心に清掃していただいている。お陰で、違法駐輪もごみの不法投棄もない状態となっている。ぜひこうした方々と連携して「愛護会」を立ち上げたい。もちろん在日の方々にも呼びかけたい。二つは、遠方から「エミレの鐘」を見学に来られた観光客への接待である。空き店舗、もしくは商店街コミュニティセンターの一角に「エミレの鐘」のレプリカのミニチュアを韓国富川市から取り寄せて陳列販売したらどうか。2月富川市役所を訪問した際、市役所ホールで地元名産品コーナーに錫(すず)を加工した食器に混じって、「エミレの鐘」のミニチュアが販売されていた。富川市との経済交流の一助となることうけあいである。三つは、桜本商店街の街区放送設備を使って、一日に12時と6時の2回程度、慶州から採取した「エミレの鐘」の音を、街中に響き渡らせたいと考えている。以上は比較的簡単なアイディアであるが、もう一つはかなり大仕掛けとなりそうである。韓国ソウルの南大門市場を桜本に再現したらどうか。すでに韓国・朝鮮の食材店も集積しているから何でいまさらとお考えかも知れないが、遠来からのお客を呼ぶためには「エミレの鐘」と韓国産品の店、そしてセメント通りの焼肉店とうまく連携することが必要となる。
 最後に、先日、阿部市長とおおひん地区(桜本の音読み、大島のおお、浜町の音読み、池上町の水辺空間、これら地区を総称しておおひん地区という)の名付け親である社会福祉法人青丘社李仁夏(イ・ニナ)先生が会談され、ご当地、おおひん地区で「タウンミーティング」開催が話題になったという。街づくりを考えるおおひん地区の皆さんや、国籍にとらわれず異文化共生を進める多勢の皆さんと一緒に、阿部市長を囲んで「街のにぎわいづくり」を議論できたらすばらしいと思う。
  「エミレの鐘」が日韓、南北朝鮮をつなぐ「架け橋」とならんことを、そして何よりもお年寄りと若者をつなぐシンボルとなることを願ってやまない。

記2002年4月10日

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