第34号
ヨーロッパ視察報告
2004年ヨーロッパは燃ゆ

まえがき
 2004年度川崎市議会欧州視察団の一員として10月18日から10日間、ヨーロッパ4カ国を訪問させていただいた。
 出発にあたって事前会議は8回に亘り、熱心な事前学習と打ち合わせが行われた。このことを踏まえて、視察先・調査事項・予算が市議会本会議で満場一致の議決をいただいた。
 実際視察した施設では予定時間を超過して、現地の関係者の皆様にはご迷惑をおかけしたところもある。紙面を借りてお詫び申し上げたい。
 EU(ヨーロッパ連合)が成立して4年、EUの団結はしっかりと定着している。これが第一印象である。前回4年前ヨーロッパを訪問した時持ち帰ったオランダ紙幣を使えますかと現地の人に尋ねたところ「ノー」との答え。統一貨ユーロでないとEU内は全くだめ、加えて交換レートも1ユーロ132円(10月27日現在)とドルよりも高いのはEU経済の力を示している。
 今回訪問したスウェーデンストックホルム市議会、イギリスシェフィールド市議会、ロンドン市議会、パリ市議会いずれも社会民主主義政党と緑の党の連立政権となっている。その政策は福祉と環境、外国人市民政策などに重点を置く市民主体の政治になっている。
 オランダロッテルダム港、スウェーデンストックホルム圏運輸会社、シェフィールドメドウホールショッピングセンター、パリ鉄道公団、それぞれが民営化され、どこまでが行政の範囲なのか、民営化を通じて市民にどう福祉サービスを実現していくのか新たな実験がいたるところで始まっている。

10月18日から26日
10月18日(月) <一路オランダへ>
 いよいよ、10日間の海外視察が始まる。私にとっては3回目の経験であり、第1回のアメリカ、第2回のヨーロッパ、そして今回のヨーロッパ視察が私にとってはもとより、川崎市議会にとっても実りの多いものになってもらいたい。
 前日まで川崎駅前商店街による「いいじゃん川崎まつり」の打ち上げなどで家に戻ったのが10時過ぎ、それから身の回り品など手荷物をチェックして、毎日の日課である「ウォーキングダイアリー」をしたため、寝たのはいよいよ午前1時過ぎになった。5時半には起床、身の回り品を持って集合地点へ向かう。議会事務局松川局長ほか大木課長、高橋職員、JTB細野支店長、安達さん、青山さんが見送りに来られている。
 さて本日の行程であるが、成田空港を午前11時45分SK984便でデンマークコペンハーゲンへ向かう。11時30分のフライトでコペンハーゲンに到着の予定。大変順調で、全く予定通りのフライトとなる。コペンハーゲンに降り立つと、現地時間は午後4時15分(日本時間はすでに23時15分であるので眠い。体内時計では寝ている。)添乗員の松繁さんが夜食用にとすしの差し入れ。大変おいしい。
ここで約3時間アムステルダム行きの便を待つ。睡魔と闘い、空港内を散策して時間をつぶす。午後7時40分予定通りSK549便でオランダスキポール空港へ向かう。前回のヨーロッパ行きと行程が重なり、なつかしい。
 スキポール空港はヨーロッパの表玄関といわれ、すでに午後9時とはいえ、大勢の旅行客が行き交っている。ここから1時間バスにゆられてロッテルダムに到着、ウェンスティンロッテルダムホテルに逗留する。
 目の前がセントラルステーション、駅前広場が建設中で、ひっきりなしにLRT(路面電車)がやってくる。午前零時就寝。

10月19日(火)<ロッテルダム視察>
 6時起床。こちらは夜が明けるのが遅い。8時頃になって明るくなってくる。
 朝ロッテルダム中央駅のまわりをウォーキング。
−ロッテルダム中央駅−
 出発前に君嶋川崎区長からオランダに行ったら、自転車を中心に見て下さいと宿題をいただいた。オランダは自転車先進国である。自転車専用道と歩道が区分されている。駅前は簡単な2段式の駐輪場が整備されているが、川崎駅前ほどひどくはないが不法駐輪が目に付く。昔「大脱走」というアメリカ映画で、ドイツ軍に捕虜となったアメリカ兵が大脱走を試みるのだが、あの中でジェームス・ゴバーンがビジネスマンに扮して自転車に乗って逃走するシーンがある。オランダの人々は、あの自転車とそっくりの飾りの少ない実用自転車、色も黒い自転車に乗っている。日本の自転車のようにママチャリあり、モトクロスあり、ロードレースタイプありといったカラフルさは全くない。
 9時過ぎ朝食を軽くすませ、出発。
−ロッテルダム港湾局−
 ロッテルダム市港湾局を見学する。ロッテルダムの臨海部はかつて低所得者が住んでいた所が再開発され、そこに港湾局ビルが建っている。オランダの国土の3分の1は海抜ゼロメートル、つまり国全体が温暖化によって海水面があがると海底に沈んでしまうといわれている。 
 通訳の池谷さんはオランダ人と結婚してオランダ在住となった方で、英語、オランダ語に堪能である。
 ロッテルダムを含めて、オランダの概要について伺う。まずオランダの人口1300万人、そのうちロッテルダムは65万人である。消費税は19%、ただし食料品は6%、介護保険は11%、高負担・高福祉が基本といえる。
 さて本題のロッテルダム港湾局である。フオン・キューレン広報担当から説明をうける。
 かつて港湾局はロッテルダム市の行政が運営し、職員が公務員であったが、本年よりロッテルダム市が3分の2出資した株式会社へ移行した。
 社員は1300人、年間の総売り上げは4億ユーロ(500億円)総延長40kmのマース川とライン川の下流域に広がる広域港湾区域を市が所有し整備し、運用して利潤を得てきている。
 収入は賃貸料と寄港料が中心であり、支出は公共インフラに投資される。
 簡単に言えば、海路と水路の管理と岸壁と上屋の整備、その上のガントリークレーンなどは民間企業のオペレーションとなる。
「ロッテルダム港の歴史について」
 1300年代、ロッテ川にダムをせき止め水害を防いだ。そこからロッテルダムという地名が生まれ、同様にアムステル川にダムを建設、アムステルダムとなった。1600年代、東インド会社が世界を席巻する。その大半は帆船であり、風のない日はロッテルダム周辺のマース川を上っていくことは困難であった。これに対して建設技師カーレント氏が運河を設計、海と川の浚渫を提案した。このことにより一気に技術改革によって延長40kmのマース・ライン両川の下流河口部と流れ込む北海の河口部が整備されてきた。
ロッテルダム港の概要図
「ロッテルダム港それぞれの機能と特徴について」
 ・フルーツポート地区
  ブラジル、南アメリカからの農作物の輸入港
  オランダからのキュウリ・パプリカの輸出港
 ・ボットレック地区
  港湾局の予算で旧市街地の再開発を行う。1940年代、スエズ動乱によりスエズ運河が使用不能となるとイランの原油などを集荷し、精油所を誘致する。
  世界三大石油会社の誘致、ダッチシェル、エッソモービル
 ・ユーロポート地区
  北海により、水深15〜25mの大型船の寄港を可能とする港の整備
 ・マースウラクテ地区
  北海の中に人工島を建設し、リースで企業に貸す。1800haのうち600haが、コンテナ基地、残りが化学工場のネットワーク、加工して高付加価値をつける地域となっている。
「総括と課題」
 外洋船が1日80船、内航船が1日300船行きかうロッテルダム港は、コンテナの取扱量ではシンガポール寄港には及ばないが企業集積と敷地面積から見れば世界最大港といえる。
 港湾機能を強化し、今後とも継続的計画につとめていかねばならない。その為には、企業誘致を進めるために安全航行を確保する。無人監視など技術革新を進める。その大きな機能がハーバーコーディネーションセンターである。港の汚染対策と事故対策、犯罪行為に対する安全性が求められている。
 1時間半という時間制約の中で実のあるレクチュアとなった。
−AVR(廃棄物処理場ラインモード)−
 午後2時よりマーテン・フォン・ベネル氏という初々しい青年が説明をしてくれる。
 1970年代、家庭ごみと危険物を収集処分していたロッテルダム市がオーナーとなり株式会社AVRを立ち上げた。今日、AVRはオランダ全土の家庭ごみが年か600万トン排出されるが、そのうち200万トンを処理するまでになった。
 拡大した理由は@拡張しないと存続できない。EUの成立によって国家の枠が取り払われ、EU規模で考えるようになった。A燃やせば環境悪化が懸念され、環境に配慮することが求められてきた。B地方自治体の責任は法律を守り、監査することに絞られ、民間に委ねられるようになった。
 オランダ国民は年間1人900kgをごみとして排出する。AVRは年間約1トン分の処分費を自治体に請求する。人口1人×130ユーロ≒15000円を自治体は支払う。
 この日視察したごみ焼却場の機能としては、日量1300トン、7つの炉を持ち通年稼動するという。300人が勤務し全国でAVRの社員は2000人をこえる。EU統合後、旧東欧諸国が合流してきたが、特にポーランドの環境悪化はひどく、今後EU域内の旧東欧社会主義国、特にポーランドに対する技術指導が課題となっている。前回4年前、ドイツの廃棄物処理工場を見学したが、水準は極めて高く、川崎市はドイツを目指すべきと提案した。
 ドイツと比較すると、いまだ発展途上であり日本特に我が川崎市とは同程度かも知れない。プレゼンテーションのビデオを見て、オランダならではと感銘したのは何と言っても河川と海域の管理をロッテルダムハーバーコーディネーションセンターと提携して行っていることである。
 午前中のロッテルダム市港湾局の視察で見た港全体の危機管理を24時間体制で、水域の廃棄物について事業として行う。例えば、石油関連のドラム缶が浮遊していれば回収し、オイルフェンスを張って環境汚染を防止するといったことを行っている。「水と緑の国オランダ」を垣間見た思いがした。
 明日はオランダの国の基本である海域の治水がテーマとなる。自ら国の名前を「Nederland」と名付けたのは海面より低い国ということを誇りにしてきたオランダならではのポリシーである。だからこそ電線は全て地下埋設であり屋外広告も厳しく制限されている。

10月20日(水)<オランダの治水管理>
−デルタ計画−

 午前5:20潮田議員と約束、約1時間程度地下1階のスポーツジム(フィットネスクラブ)で汗を流す。7:30にはパッケージダウンして、8時バスでオランダ南端にある高潮防止施設の視察に向かう。約2時間バスにゆられて到着したのはフェアレーン市、「Water Land Neeltje Jans」(水の国ニールテェヤンス、ニールテェヤンスは愛称)責任者テッド スロータさんから説明を受ける。
ニールテャンス水門
 オランダは運命的に水との闘いを余儀なくされてきた。1953年潮位が4.2m高くなり、2000人が死亡した。もともと1/3の国土が海面より低い土地柄。原因は@当時の堤防が悪質であった。A東欧との緊張関係のため防衛費がかさみ、治水費には回らなかったことが挙げられた。
 1970年、北海とオランダの海域に完全しゃ閉した堤防を計画したが、生態系学者、漁民は反対する。この辺は長崎県諫早干拓問題で水門を閉めたことに漁連の皆さんが反対した経過に類似している。特に汽水域に生息する小動物、あさり、ムール貝の種を確保する環境が求められた。
 今回視察したオオステスケルデ水門は20年の構想、着工から10年、総工費は25億ドル(3000億円)、1986年竣工した。残された課題は、水門から流れ込む潮の量が少ない為、砂の中洲ができにくい。結果として小動物が減っていることである。
 この日、朝から雨模様、この施設はお昼には子ども達がいっぱい入ってくる。ちょうど今日から学校は秋休みに入る。スロータさんも今晩から車で、スペインのバルセロナに家庭サービスに出掛けるという。ヨーロッパは大陸だなとつくづく感じる。
 この施設を出て、デルフト郊外にあるかやぶき屋根のレストランで昼食をとる。このレストランに併設して、小動物農場がある。羊、ぶた、うさぎ、孔雀がいる。よく人になれているせいか、やぎがプラタナスの葉をつまむ。佐藤忠次議員や粕谷議員の手に乗せた葉をおいしそうに食べる。牧歌的である。
 再びスキポール空港に戻り、2時間程待機してスウェーデンストックホルムへ向かう。1時間20分のフライトなのに、夕食が機内食で出される。ビーフステーキがちょっと硬い。やはり牛は和牛が日本人の口には合うのかもしれない。
夜9時ストックホルム「スカンディックサーガルプラザ」に逗留する。スウェーデンは徹底した環境対策からか、風呂場には一切歯みがき、シャンプー、整髪料が置いていない。ごみ箱は3つに分別、紙、生ごみ、その他に分かれている。勉強になった。

10月21日(木)<ストックホルム市議会>
−ストックホルム市に於ける少子化対策について−
 ストックホルムの朝は寒い。2℃加えて雨模様。10月に入るとこんな天気が続くそうである。 徒歩でストックホルム議会へむかうが、途中の商店街、なかなか明るい雰囲気だが、屋外広告は制限され、実に美しい外観をしている。屋外カフェテリアの仮設いすとテーブルが冬が来る前に、撤去されている。
ノーベル賞受賞者の晩餐会が
行われる「青の間」
 10時前にストックホルム市議会へ到着する。ノーベル賞受賞者の晩餐会が1階ホール青の間で行われるがここに300人が入るそうである。記念写真を撮った後市議会応接室へ入る。
ルーイス・ド・リーツ・スベンソン市会議員が待ってくれている。彼女は教師を10年前に退職し、議員になったそうである。議員にも2種類あり、議長と事務局長と12名の専門議員と87名のフリー議員で構成する。14名は常勤で各局長をつとめ、87名は非常勤で議会開会のときに登員、ひん度は隔週月曜日でこれ以外は別の職を持つ。議員職はいわばボランティアであり、なかなか定着性は薄いそうである。18の区に分かれて区議会を構成し、区議会が各地区内の市の活動を担い、日常の市民サービスに関する事項はほとんど区議会で対応するそうである。地区改革で重要な点は、議会と市民との間の接触の機会を増やすことであり、そうすることによって、市民は議会を信頼することになる。
「区議会の任務」
 消費者相談・債務の支払い相談・介護・環境問題とローカルアジェンダ21・地域の産業・労働問題・就学児前児童のケアと教育。就学中の児童・生徒のケアであり、区議会を含めた議会の役割が理解いただけると思う。
「市議会の役割」
 101名の市議会議員は通常隔週月曜に会議を開く。この中で代表質問・一般質問を行う。議案は、議員によって提出され、委員会に付託された後市行政委員会で審議され、再び市議会に諮られ決定するという民主的プロセスを経て完成する。
 もちろん外国人の参政権(選挙権・被選挙権)はいわずもがなである。
「川崎市議会との違い」
 決定的な違いは議員内閣制であること。議会内で多数を占める会派が行政府(内閣)を構成し、議員相互で市政を協議決定する。日本の地方自治はあくまでも行政府と対等の立場である議会が対抗するという関係。それぞれ長短はありながら議会が市民サービスを決めるという点では見習うべき点も大いにあるように思う。
 さて、本題である少子化対策について述べる。国の責任、県(Landsting)の責任市(コミューン)の責任とそれぞれ分担し合う。
国の責任 法律の枠付けによって行う
県の責任 児童保健センター(BVC)事業
市の責任 ・児童手当の支給 1子 950クローネ/月
2子 1900クローネ/月
3子 3104クローネ/月
4子 4814クローネ/月
5子 6714クローネ/月
・歯科医療費の無料化
・保育 申請が出れば3ヶ月のうちに探す
  時間は7:00〜19:00 
  80%公立20%私立(保育ママ)
・保育料 1子 1260クローネ/月
2子 840クローネ/月
3子 420クローネ/月
4子 無 料
※1クローネ≒15円で換算する
[結論]
今日、スウェーデンの福祉政策によって出生率も上がってきた模様である。全国の人口も900万人を超える勢いという。細かく述べた少子化対策もさることながら、外国人労働力移入を奨励してきたことが、少子化に歯止めをかける原因として一番大きい。このことにより、90を超す外国国籍の子ども達のための外国語教育が求められている。あくまで外国人市民も同じく市民であるという地球市民としての発想が息づいている。
SLCが経営する
ストックホルム市の2連結バス
−ストックホルムに於けるバリアフリーについて−
 大ストックホルム圏運輸会社(SLC)ヨーランストールダールさんの話を伺う。まず、バリアフリーの概念が日本の概念とは違う。人間にとって障害を持っていることが障害ではなく、誰にも利用することが可能となる利用手段、方法を保障することが必要であるという。つまり、障害を持つ人の為のバリアフリーではなくて、全ての人が享受できる公共のサービスこれがスウェーデンのバリアフリーである。
 ストックホルム市人口76万を含む大ストックホルム圏26の地方自治体180万の人口を対象としている。SLC(大ストックホルム圏運輸会社)の事業は地下鉄、バス、通勤電車、路面電車を運営している。地下鉄はコネックス社、電車はシティペンデル社、路面電車はコネックスとロースティング社そしてバスはコネックス、スィンクス、バスリンクス社に外注している。
 1960年代のりものサービス(STS)はボランティアから始まった。1963年4つの自治体でのりものサービスが始まり1974年90%の自治体で導入、1980年には全ての26の自治体に広がった。1982年には「社会サービス法」1988年には「のりものサービス対応法」が施行された。
 SLCは第3セクターで50%県50%は利用者の運賃収入でまかなっている。2008年には90%まで運賃収入でまかないたいと考えている。質問で外注会社にバス部門でどの程度費用効果があったかと聞くと、1年間で100億クローネが削減されたという。4年前にヨーロッパを訪問した時に比べると一気に民間委託の道が進んだという実感である。
 バリアフリーについて国は2010年までに何の障害も受けずに希望先に到達できる方法を実現することを目標とした。SLCは交通手段を通じて実現することを協力することを目標にする。このためにSLC社の中に年間4〜5回の提案を行うユニットを作る。例えば2005年導入の新型電車、5人が協力してドイツで作らせた。例えば従来乗車するのに2段あった段差をストレートにする。
技術改善するにはスタッフの育成が急務となる。
目標に到達するには乗客の立場に立って、どんなふうにしたら喜ばれるのか、協力は必要か、具体的に考えるようになったという。低床バスの導入や停留所の歩道を16cm高くしてバスの乗降口に高さを合わせることなど目標を設定して実現している。
 バス停の位置が杖を持った人にわかるようにマーキングする。視力障害者が解るような点字付時刻表、のりものサービス事業として病院などを循環するコミュニティバスなど具体的改善策が示された。
[総括]
 スウェーデンは消費税25%うち食料品12%印刷6%雇用主は雇用者税として一人につき33%所得税は32%つまり高負担高福祉が基本である。
 日本のように税に頼ることなく、自己負担を基本として福祉政策を展開してきた国からすればうらやましくもあり、同時に厳しさがひしひしと伝ってくる。

メドウホール
ショッピングセンター
10月22日(金)<イギリス友好都市シェフィールド市へ>
 午前4時30分起床し、荷物出しをして5時15分ホテルを後にする。昨日の雨とはうって変わっての晴天、恐らくストックホルムの市民にとっては久しぶりの天気だろう。
 7:45のSAS、SK2547便でイギリス マンチェスター空港へと向かう。2時間30分のフライト。残念ながらマンチェスターは雨模様。時差が1時間あり9時20分に進める。ここからバスで約2時間、シェフィールドに到着。メドウホールショッピングセンターを視察する。とにかく大きい。
 イギリス全国4つの大きなショッピングセンターの一つであり、広さは100、4平方キロメートルという。案内してくれたのは、ドーン オズボーンさんとジョニーナ ニーモンドさん。オズボーンさんは営業責任者である。
 かつてこの地は製鉄所があり、鉄道・路面電車が敷設されていた。「ブリティッシュランド」という不動産会社が主たる出資を行い、かつて所有していたスタジアムを売却120億ポンドを元手にショッピングセンターを2億4千万ポンドで1990年に建設した。建坪は165,000u、売り場面積は135,980u。キーテナント(こちらではアンカーショップという)は11のイギリスでは屈指のデパート・スーパーが軒を連ね、219のスモールショップ、11のシネマコンプレックス、26のキオスク(食べ物屋)が回りを取り囲むように店を出している。
 1日のうちで客足のにぎわう時間に7000人が働いている。平均5000人の雇用が創出されている。粗利益7億5千万ポンドを出し、大変儲かっているとのことである。しかし、内情を聞くと、1年の内テナント店45%が入れ替わる。また、キーテナント11店の内、5店は開店から15年で変わっている。それだけ競争が働くのは結構だが旧市街地の商店街の影響はどうなのか質すと競争が相乗効果をうみ、かえって「メドウホール」に出店しているということではくがついているという。しかし、旧市街地市庁舎周りの商店街はシャッター通りと化しているところも見受けられ、現実は厳しい。この後、同じ質問をパイシェフィールド市長に質問したが、同様の回答であり、こちらには余り商店街の育成という発想は乏しいかもしれない。
シェフィード市長パイご夫妻
−シェフィールド市長 マイク・パイ ジョセフィン・パイ夫妻を表敬訪問−
 108代シェフィールド市長を訪問した。歴史のある議会は川崎市の友好都市でもある。気さくな市長で労働党の闘士とは思えない。議員歴20年の大ベテランである。
 シェフィールド市議会は24の選挙区から3〜4名ずつ選出される。ストックホルム市議会と同じで議員内閣制となっている。議場も見学させていただいたが、築造107年の歴史的築造物は渡り廊下の天井が部分的に落ち、赤白のテープではられ立ち入り禁止の区域もある。市長が議長も兼ね、理事者側には与党側の各局長が着席し、議員側席左側に野党が座る。構成は与党が労働党、民主党(労働党からの分裂新党)緑の党、野党が保守党という国会と同じである。
 驚いたのは市長の報酬である。年収で約200万円では子どもを抱え、夫人も仕事に出られず正直言って大変である。これには異口同音で視察者一同「よくわかります」ということになった。

10月23日(土)<バーミンガム産業革命発祥の地>
−バーミンガム科学産業博物館−

 産業革命の発祥の地、バーミンガムを訪問した。トーマスワットが発明した蒸気機関車そして工場に利用された製糸機械、自動車、飛行機が所狭しと並べられている。この博物館全くの民営である。サッカーのプロチームを持つチェルシー社がかつて工場の跡地を再開発して作ったという。そのせいか料金は6.95ポンド(約1500円)と割高である。経営は黒赤とんとんであるという。
 一般的にはイギリスの公立博物館は無料だそうだ。とするとPFI方式なのか運営について質問したが明快な答えはいただけなかった。昼食の時に5年前早稲田大学の大学院生で研究論文を川崎市の外国人市民政策をテーマにした加藤恵美さんと会った。 今、加藤さんはバーミンガム大でバーミンガム市の外国人施策の研究の為に留学している。彼女の説明によれば、PFI(注1)はすでに衰退し、PPP(注2)に移行しつつあるとのこと。公共サービスのあり方としても研究する必要がある。                                            
復元された蒸気機関車
 イギリスは物価高、サンドイッチが1つ500円、これでは国民の不満は現在のブレアー政権に向けられる。どうやらサッチャー政権の末期によく似てきているようだ。しかし、野党保守党には魅力ある政治家がいない。これは日本とよく似ている。これから2年間加藤さんには所期の目的を達成してもらいたい。この日はロンドンへ向かう。
注1 PFI:Private Finance Initiative 私資本主導型方式
注2 PPP:Private Pubic Partnership 官民パートナーシップ事業(官民連携)

10月24日(日)<イギリス・ロンドン市>
−民主主義と王政の共存−

 午前8時30分ケンシングトンのホテルを出発し、ドックランドの再開発地区へバスでむかう。
 大ロンドン市の港湾工場地区ドックランドの手前に経済と政治の中心地シティを見学しながら、ドックランドへ到着した。
 この地区はドックランドと呼ばれ、かつては港湾関係の倉庫群、造船所などの工場群、魚市場等で構成されていた。
 広さ2,000haをこす臨海工業地区再開発のために1981年にドックランド開発公社を設立し、国からの補助を得て、当初は知識集約産業へ転換を図った。1997年いきづまりが顕著となる。アクセスが不十分ということもあり新しい企業進出が足踏みすることになる。
 そこで交通機関の整備を前倒し、地下鉄、シティ空港の整備そしてホテル、高級アパート、プレジャーボートの係留所などを一気に完成させた。
 2000年ミレミアムドームを中心部に配置し、映画館などアミューズメントのセンターを建設した。
 イギリスには、港湾地域の制約が日本に比べると少なく、ウォーターフロントを利用した景観整備など自由に住宅、オフィス、公共施設などをうまく組み合わせができる。
 この日、視察終了後、国会からロンドン塔(城)ロンドンタワー、バッキンガム宮殿を見学した。添乗員の松繁さんの説明では、王室と国民との関係を象徴する2つのエピソードを説明してくれた。
 昨年エリザベス女王の居住する宮殿の塀に電線がはりめぐらされるようになった。理由は、侵入者が塀を越えて入り、3時間に亘り、女王に物申したそうである。女王もたいしたもので3時間辛抱して話を聞いてあげた。もう一つ宮殿が老朽化して大規模修繕を余儀なくされたが、税金でまかなうのは忍びがたいとのことで、一部宮殿を有料で公開することにした。     
この2つのエピソードは国民と女王・王室の距離を示しているように思える。シェフィールド「メドウホールショッピングセンター」を見学した折、夕刊紙で「ヘンリー王子記者をなぐる」という記事が1面トップを飾っていた。パパラッチがクラブから出てきた王子の写真をとろうとして逆になぐられた瞬間をカメラに収めたというもの。英王室にもうちょっとプライバシーがあってもいいのではないかと思うが、それだけ大衆的なのかもしれない。
 この日、ロンドンのケンシングトンにあるホテルに戻ってくると新潟からの旅行客が日本時間で23日夜大地震発生の報を伝える。被害が広がらないことを望む。
ロンドン橋
ロンドン塔
バッキンガム宮殿

10月25日(月)<翼よあれがパリの灯だ>
−新交通システムについて−

 朝8時30分ホテルを出発する。通訳の小林さんがパリ市交通公団本社(アルデペ)へ到着するまで、私見を交えて話をいただく。
パリ市は人口210万人、市内は至る所大渋滞である。とにかく車の多いこと。加えて交通ルールも完全無視、よく事故が起こらないと嘆く。これを国民性といえば元も子もない。ただ、パリ市長・市議会は社会党、緑の党の連立政権のためか、環境政策に力を入れ、市内に車を入れない政策を始めた。その一つがLRT(路面電車)の復活である。当初計画2期工事を1期に短縮し、自らの任期中に完成することを宣言し、すでにまちの至る所で工事中である。
 二つめが、今日視察に行く新交通システムということになる。行く道々、渋滞解消策である時間指定バス専用レーンを見たが、小林氏はかえって渋滞を広げているという。
パリ市警は担うパートに応じて、軍警察、市警察、それに交通違反者の切符の切れる権限の少ない警察官という風に分かれているそうで、バス専用レーンの至る所に交通警察官が待ち構えている。それでも罰金覚悟で突っ走る不心得者がいるのもパリらしい。ロータリーも信号がない。
 10時前にパリ市交通公団本部に到着する。中に入るとギィ・ミズライさんが迎える。いきなパリ野郎、ひげもなかなか似合う。
今日、説明する予定の技術担当が渋滞で間に合わないのでということで説明が始まった。パリ市交通公団に働く職員4万3千人、この本部には3千人が働いている。パリ市が出資する第3セクターでメトロが16路線、REF(郊外急行線)5路線を網羅している。この他バス事業と新しい路面電車の運営も事業となる。
工事中の路面電車の線路
 今回の調査テーマはパリ市の新交通システムメトロ(地下鉄)14号線の全線無人自動走行を実際に乗車して見学することになった。
この14号線は平常3分間隔で運行、ラッシュ時は1分45秒間隔となる。始発のミッテラン国立図書館からサナザール駅まで8つの駅を擁し、パリ市内では最も長い総延長23Kmの地下鉄となっている。駅と駅の間隔は最長シャトレ駅―リヨン駅間2.7Km、一般は500mとなっている。12分で始発駅から終点まで走り抜ける。
 14号線を整備する目的は、フランス国鉄の在来線A線と平行して混雑の緩和にあった。パリ市内の一日の交通利用者900万人がパリメトロ(地下鉄)、電車、バスを利用する。このうちメトロ(地下鉄)が400万人を占める。1号線が50万人、14号線は当初開業時は1998年10万人であったが、今日31万人まで伸びている。
 14号線の特徴は@ホームがガラスで覆われていて、安全性が確保されていること。最近日本の新幹線にも整備され始めている車両とホームにもう一枚ガラスのドアがあり、到着するまで開かないシステムとなっている。Aビデオカメラでの監視体制が車両・ホームに設置され犯罪率が減少している。B駅には空間を確保し、乗換口からホームに降りる空間に緑の林を作り、鳥の鳴き声をスピーカーで流すようにしている。
 車両は6両で床はゴム製となっている。車両と車両をつなぐドアはなく、1車両の最大乗車数を722人としている。1uあたり4人と想定し計算。ホームは120mであるが、車両の総延長90mなので、あと2両接続することも可能である。
 今後の計画としては、終点のサナザール駅から北へメトロ13号線と接続していく。始点のミッテラン駅から2007年開業を予定しているメゾンプラッセ線に接続して、メトロの幹線としていく予定。
 この後、実際に乗車してみる。確かに全て無人である。早速ギィさんに安全確保と事故対策を質問すると、全てカメラで監視、14号線に対して、4名のスーパーバイザーが指示、275人が従事している。事故が起きれば、すぐ職員が緊急対応する。車両には制服をきた職員が巡回もしている。開業以来大事故は起こっていないとのこと。車いす利用者対策は、車いす利用者専用の改札口、エレベーターがあり、駅員は介助せず、全て一人でできるようになっているとのこと。
 車庫はミッテラン駅に20台収容の車庫
 サナザール駅6台収容の車庫
 車両は計21両所有している。
 総工費は10億ユーロ(1300億円)採算は14号線だけでは積算できないということであった。本市の地下鉄建設費について質問すると「リーズナブル」と一言。
恐らく、他国の自治体の経営に介入して、それは高いとも安いとも言えないのだろう。それはギィさんの見識と理解した。小林さんの説明によれば、市長が変わる度に交通政策の根幹が変わるそうである。今回は社会党・緑の党連立の環境派の市長だから、かなり急激にトップダウンで進行しているようだ。
 政策決定と市民参加について尋ねたが残念ながら参加の保証は難しいとの返事であった。財政との関連でどう意思決定をするのか次は議会に質問したいと思う。

10月26日(火)<あっという間の10日間、帰途へ>
 朝食もそこそこに、8時30分バスでホテルを出発、空港へ向かう。
コペンハーゲン経由で東京へ向かうことになるが、コペンハーゲンで整備に手間どり、1時間30分待機、時間がたつのが遅い。当初予定であった9時35分(日本時間)予定が約1時間遅れて到着した。団員に事故もなく、すばらしいヨーロッパ4カ国視察訪問が終了したことを参加団員全員に感謝したい。

あとがきにかえて
 あわただしい10日間だった。報告にあるように大きな成果を獲得した。
 事前学習で輪郭をつかみ、当初の視察目標を十分達成したかというと、個々には問題が残った。
 一つは、オランダロッテルダム清掃工場を視察したが、能力・規模は川崎市浮島処理センターの1.5倍程度であり、分別方式もオランダは発展途上。もし環境施設を視察するなら、ドイツで何ヶ所か見たほうが参考になったかも知れない。ただAVR(廃棄物処理場ラインモード)は、陸上部分だけではなく、水上部分の監視・管理・回収・予防といった水の国オランダならでは総合企業となっていること。また、EUが旧東欧諸国を加盟させ、環境政策も厳しく規制するため、むしろ旧東欧社会主義国、例えばポーランドへ技術移転しているという点は世界的に例がなく参考になった。
 二つは、イギリスシェフィールド市。川崎市とは友好都市の関係を結んでいる。もう少し友好都市ならではの都市情報があってもよかった。市民との交流があってもよかった。確かにパイ市長ご夫妻の話はイギリスの地方議会のあり様を知るという点では、生々しく、本市との違い、基本的に地方議会のあり方が日本とヨーロッパは違うということが認識できた点では収穫だった。しかし、大ショッピングセンターの建設によって、既成市街地の商店街はシャッターが下りていた。こうした既成市街地の商業振興策についても、残念ながら掘り下げられなかった。
 三つは、パリ市議会でのレクチュアーが取りやめになったこと。元々パリの視察に3テーマあったが、午前中新交通システム、午後セーヌ川左岸の再開発が入っており、これにパリ市議会が入ったとしてもかなりタイトだった。従って当初より、パリ市議会は厳しかったかも知れない。
 以上申し上げた反省点は、ぜひ来年度以降の視察団の参考にしてもらいたい。
 その上で総括すれば、「百聞は一見にしかず」という諺で、今回のヨーロッパ視察報告を閉じさせていただきたい。

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