私の政治信念
<アジアに於ける共同の家をめざして>
川崎市は平成8年に韓国の富川市と友好都市として提携しました。きっかけは桜本商店街と富川遠美市場との交流であり、いわば1地域の商店街同士のささやかな交流が自治体間交流として公的なものへと発展したものです。私も初当選以来、後援会の皆さんを案内しながら、毎年富川市を訪問しています。そうした実績が認められ平成20年富川市名誉市民証を授与しました。
また、川崎市は定住外国人の地方参政権を目指して平成6年、全国の政令市では初めて意見書を採択しました。平成8年には「外国人市民代表者会議」を条例で設置しています。こうした取り組みを踏まえて、平成12年11月、衆議院政治倫理特別委員会に民主党の参考人として、地方参政権賛成の立場から意見表明を行いました。
今、アジアを取り巻く状況は、米朝会談や、中国の抱える多民族問題など、日増しに厳しさと同時に平和への期待がつのっています。だからこそ私たちは、アジアが民族と国家の枠を超えたグローバルな「アジア共同の家」をめざしたいと思います。

<環境をキーワードに>
私は昭和50年(1975年)に川崎市清掃局(現環境局)に入局しました。約20年を廃棄物行政の一線を務めてきました。当時、川崎市の行政は収集・処理・運搬の全行程を直営で行い、日本一との評価を受けたりしていましたが、その後、環境への負荷を低減させるためのリサイクル社会へと転換する中で、川崎市の廃棄物行政も大きく変わりました。しかし、1980年代に私たちが取り組んだ住民懇談会運動は、10次にも及び、今日の住民と共に歩む清掃事業として息づいています。今でも年に一回、市民文化局が行う市民アンケートでも、市の事業で一番評価されるのは清掃事業となっています。
川崎にはかつて豊饒な海がありました。1980年代に臨海部にコンビナートを建設するために埋め立てをすることになり、漁師たちは漁業権を放棄しました。しかし、海の人々はその後も子や孫に「海苔づくり」の技術を教え、海を甦らせようと運動を続けました。平成24年4月、川崎市の臨海部、東扇島の東海岸に人工の砂浜3.2ヘクタールを完成させることができたのです。竣工以降、潮干狩りや水遊びでにぎわっています。こうした取り組みの一環で、川崎市港湾振興会館(通称マリエン)の一角に、海苔づくり体験場と海の歴史資料館も設置され、海苔づくりの普及に貢献しています。元漁師の皆さんと取り組んだこの運動では本当に多くのことを学びました。
こんな取り組みも川崎から発信していきたいと思います。
<人権のまちかわさきを目指して>
川崎市は平成30年3月31日から、公園や市民館などの公的施設でヘイトスピーチを行わせないためのガイドラインを施行しました。
私は本ガイドラインに基づいて、本市が適正に施設貸し出しを判断し、時として不許可を含めて厳しく決定していくことを支持します。そしてその向こうに、事前規制できる明確な条例化を目指してまいりたいと思います。
川崎市はこれまで「外国人市民代表者会議」の設置や市職員の「国籍採用条項の廃止」など幾多の人権にかかわる制度を作ってきました。これからも「人権のまちかわさき」を目指して取り組んでいきます。
<158万人のまちにふさわしい街の風格を>
本市の人口は平成29年に151万を突破し2030年には158万人の人口となる推計があります。全国6番目の神戸市を追い抜くのは時間の問題と言われています。
果たして6大都市の風格が備わっているかといえば首をかしげることが見受けられます。たとえば駅前商店街の客引きの多さです。条例が制定されましたがいたちごっこが続いています。さいか屋の跡地問題もようやく協議が始まりました。川崎駅東口を活性化するために川崎駅南口改札口を期待します。西口にはホテル・事務センターの整備によって7千人の雇用が始まります。若い人々が自然に集まってくるそんな川崎を創ってまいります。