川崎評論-114年ぶりに甦える伝十郎桃、その後

<はじめに>
2010年9月「川崎評論」Vol32に私の拙文「114年ぶりに甦る伝十郎桃」を掲載させていただきました。
あれから10年「伝十郎桃は新たな変容を遂げようとしています。そこでこの10年を振り返りながら地元の「伝十郎桃」としてどう定着させていくかそんな提案を含めて書かせていただきました。

◎飯塚正良ウォーキングダイアリーより
<川崎評論「甦える伝十郎桃」が届く>        2010年10月1日(金)
夏休み直前に川崎区文化協会より「114年ぶりに甦える伝十郎桃」をテーマに季刊誌「川崎評論」の原稿依頼があった。ちょうど11月末の議員活動20年記念出版に向け準備中だったので快くお引受けした。盆の帰省前の突貫作業だったので仕上がりが不安だったが内容は自画自賛であるがよく出来ている。小笠原編集長に負うところが多い。感謝多謝。
早速取材協力してくれた吉沢庸子さんのところにおじゃましてお礼を述べる。吉沢さんの家は最後の田島町長吉沢保三氏(1923年川崎市制創立まで)のお孫さんだけあって資料も豊富である。
びっくりしたのは保三氏の書いた「10年日記」である。明治末年から大正年間の吉沢家の大福帳である。そして1923年関東大震災のとき朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマがおこり、あちこちで朝鮮人虐殺事件が発生する。保三氏は川崎区渡田にある新田神社に300人の朝鮮人をかくまった事に感謝の金杯が授与されている。

<114年ぶりに甦える伝十郎桃に書評が届く>     2010年11月1日(月)
先日川崎区文化協会季刊誌「川崎評論」に寄稿した「114年ぶりに甦える伝十郎桃」を「ももの里保育園」理事長の奥村栄先生に贈呈した。
達筆な筆致の礼状が届いた。

拝啓
夏から一足飛びでの冬の気候、急の寒さですがご健勝のこととお喜び申し上げます。「114年ぶりに甦える伝十郎桃」川崎評論を拝読しました。先生の活躍で明治の先達の知恵と努力の結集体としての伝十郎桃が子どもたちに伝えられたことは本当にすばらしいことと存じます。私自身も大変勉強になりました。
先生のいっそうのご活躍を期待いたします。寒くなりますのでお体ご自愛され、まずはご挨拶といたします。
敬具
10月31日

<伝十郎桃に実が結ぶ―藤崎小―>            2013年6月8日(土)
NHK横浜支局から電話があった。伝十郎桃のつぎ木を始めて3年がすぎた。ことわざに桃・栗3年柿8年とある。そろそろ実がなるのではないかという。早速川崎区内10ヶ所に伝十郎桃を接ぎ木した責任者に連絡をとると、藤崎小で実を結んだという話が入ってくる。大師方面に用事があり、藤崎小を訪問するが鍵がかかっており残念ながら確認できず。楽しみは明日まで待つことにする。
もし実がなったとすればいよいよ福島の桃と味比べが可能になる。川崎農業技術支援センターの久延さんの協力の賜である。
PS. 藤崎小の用務員原田さんから待望の伝十郎桃の写真が届いた。
区内10校の学校用務員さん、そして川崎市経済局農業技術支援センター久延さんに感謝々である。

<伝十郎桃順調に生育 7月末には収穫>        2013年6月22日(月)
藤崎小で伝十郎桃が立派に実っていると6月8日のウォーキングダイアリーで報じた。
藤崎小の原田さんと農業技術支援センター久延さんに話をきく。袋がけをして実を守っている。防鳥ネットはとりあえず必要ないだろう。
市内には伝十郎桃が11か所(10小学校と1事業所)に、この5年間で接ぎ木された。そのうち3ヶ所が実をつけている。藤崎小・京町小・渡田小である。台木の花桃が力を持っているかどうかが分かれ目。力がない場合は、多摩区の農業技術支援センターで種から育てた株を植えたらどうかという。
そこで市内の小学校に伝十郎桃を育てる運動を提案したい。とりあえず7月収穫祭を盛大にやれたらおもしろい。

<伝十郎桃の復活を祝う会開催>            2013年7月24日(水)
7月28日午前9時30分 於藤崎小
ようやく伝十郎桃の復活を祝う会の次第が決まった。教育委員会・経済労働局担当者が集り、進め方を協議した。
28日、日曜日の午前9時30分から藤崎小で行われる。残念なのはすでに4つの実が落ちてしまっていることである。農業振興センターに残っている伝十郎桃を合わせて約10個を試食してもらうことになる。したがって参加者の口に入るのはサイコロ程度になってしまうかもしれない。
先日追分の橋本商店の橋本社長に話したところぜひ福島から伝十郎桃の子孫、福島の桃を取り寄せたいとのこと。楽しみである。

<藤崎小、114年ぶりの「伝十郎桃」の復活を祝う会開催>2013年7月28日(日)
午前9時から藤崎小で「伝十郎桃の復活を祝う会」が開催された。
この間川崎市教育委員会・経済労働局・藤崎小が中心となって伝十郎桃の収穫祭の準備を進めてきた。
明治29年(1897年)伝十郎桃は吉沢寅之助氏によって30余種の桃の交配によって発見され、先代の名を冠にした「伝桃」は全国を席巻することになった。それから114年、見事に藤崎小で伝十郎桃は実を結んだ。
試食した伝十郎桃は甘酸っぱく、1個千円もする岡山白桃に負けない味をだしていた。試食した6年生の須山まなみさんはまちの八百屋の店頭で売ってもらいたいと感想を述べた。福島・山梨・岡山の桃を提供していただいた川崎区追分の橋本商店橋本幾男社長は、桃づくりの生産者にお願いして店頭に並ぶよう努力したいと述べた。
藤崎小柴嵜校長も、生徒との共同作業でもっとおいしい伝十郎桃を作りたいと来年に向けた抱負を述べた。

<伝十郎桃の復活を喜ぶ声が次々と>          2013年7月29日(月)
昨日藤崎小で伝十郎桃の復活を祝う会が開催され、今日朝日・神奈川新聞2紙で新聞報道された。
いろいろな人から電話をいただく。浜町の方からは観光ガイドをやっている。大島八幡神社の「温故知新」の碑文が難解で困っていた。伝十郎桃が復活したのはすばらしいという。浜町3丁目高野町会長は、川崎の木はいちょうではなく伝十郎桃か長十郎梨にすべきであるとのこと。一理ある。厚木の井上市会議員、実家は桃農家である。桃の栽培は大変難しい。実をつけたことはすばらしいが、これからが大変。ぜひ農業指導に来たいとアドバイス。
藤崎小柴嵜校長の言う「桃をきっかけに川崎の歴史に関心を持ってもらいたい。」この輪が広がることを望む。

2016年、中原桃の会(会長東正則市会議員)との出会いが「伝十郎桃」の普及にとって新しい段階を迎えることになりました。これまで教育委員会・経済労働局及び川崎市職労教育支部の皆さんの協力を得て市内10か所近く伝十郎桃の穂木の接ぎ木を普及していただきました。残念ながら花は咲くけれどなかなか結実しないことが徐々にわかってきました。藤崎小は接木の成功例です。昭和電工博田豪総務担当からの質問がきっかけとなりました。

◎飯塚正良ウォーキングダイアリーより
<伝十郎桃植樹式  ―昭和電工川崎事業所―>     2016年2月16日(火)
午前9時、伝十郎桃植樹式が川崎区扇町の昭和電工川崎事業所で行われた。
海寳(かいほう)益典昭和電工川崎事業所長と私とで植樹する。
実は3年前、昭和電工には2本伝十郎桃を花桃の台木に接ぎ木したが、花は咲くが結実しない状態が続いた。そこで2月14日二ヶ領用水・中原桃の会が苗木から育てた樹齢3年の伝十郎桃を昭和電工に寄贈していただき、植樹式となった次第である。海寳所長も愛情を持ってしっかり育てます。結実した暁には福島桃と食べ比べできるよう頑張りたいと述べた。

<藤崎小「伝十郎桃」収穫祭>             2016年7月19日(火)
-くだもの博士橋本幾男さんに代わって話す-
午前10時20分、2時限と3時限の休憩時間を使って、藤崎小「伝十郎桃」収穫祭が行われた。7月10日藤崎小を見回った後、真っ赤に熟した桃を発見した。そこで早速、新町小の用務員伊藤昇さんに相談すると、藤崎小三上校長と打合せていただいて、今日の収穫祭となった。6人の6年生が代表して収穫する。この後6年生約100人が待つ多目的ホールで、三上勤校長から今日の収穫祭開催の趣旨が話される。そして私の講話となる。本来であればくだもの博士の橋本幾男さんにお願いしたが、あいにく所要の為、私が話す。まず明治29年農林大臣から「伝十郎桃」を開発した故吉沢寅之助翁に贈られた「農林大臣賞」と大島村、「伝十郎桃」の由来について述べる。
そして明治から大正にかけ、大島村には深川からセメント工場が移転し、桃畑はなくなる。その種は何と福島へ渡る。今日の福島白桃の原種である。
さて、今年の桃の生産概況はというと、橋本幾男さんのうけうりであるが、本州は良好・九州は長雨がたたって不作、加えて朝晩寒暖の温度差が桃を真っ赤にしていると話す。そこで全員で試食する。感想を聞くと「おいしい!」「甘い!」これまでの苦労が吹っ飛んだ。

藤崎小は毎年結実し盛大に収穫祭を実行していました。一方昭和電工は2016年、17年と結実しましたが、2016年の台風で苗木が流され再起不能になりました。

<川崎市職労教育支部学校部会定期大会に出席>      2018年7月10日(火)
川崎市内の市立学校の用務員で組織する学校部会は、かつては1校2名×150校300名を超す大組織だった。
今日(こんにち)、一部民間委託と退職後の採用延長などで、組織人員は激減したが、、運動の志は高い。
先日、朝街頭演説を行っていたところ、学校部会役員の伊藤昇さんから、藤崎小の接ぎ木した伝十郎桃が20個近く実をつけているとの報告があった。
伊藤さんは、3年前の全国自治研集会で報告者として藤崎小の伝十郎桃復活の報告を行っており、私も演説の中でこれまでの取り組みを述べた。反応はまあまあである。

<藤崎小学校に122年にして、伝十郎桃がたわわに実る> 2018年7月17日(火)           ー藤崎小「伝十郎桃収穫祭」ー
6年生代表4名が収穫する。約20個の伝十郎桃、熟れて美味しそうな実もある。竹籠に入れて、6年生126名の児童が待っている特別活動室に向かう。そこで私の講話となる。
まず、明治29年農林大臣から「伝十郎桃」を開発した吉澤寅之助翁に贈られた「農林大臣賞」と桃の里と呼ばれた大島村、「伝十郎桃」の由来について話す。そして、明治から大正にかけて、大島村に深川からセメント工場が移転して、桃畑が次第になくなった。ところが、その種は福島に渡る。今日の福島白桃の原種である。皆さんに良く聞いていただけた。

<伝十郎桃植樹式を向小・昭和電工で>         2018年11月9日(金)
午後1時から、向小学校職員室前の花壇で、中原桃の会寄贈による「伝十郎桃」の苗木の植樹式が開催されました。天気予報では、午後から大雨でしたが、何とか雨に降られることもなく、無事に挙行することができました。松原校長の配慮で、生徒会環境委員会所属の9名の生徒が参加しました。私からは、「大島のこの地域は、桃の里と呼ばれ、たわわに桃が実のった。伝十郎桃は、吉澤寅之助翁が開発した新種で明治22年農林大臣表彰を受けるほど市場を席巻した。ところが、大正の頃深川セメント工場が田島村に進出し、桃の畑は、姿を消すことになる。この後、溝の口に移転し、福島の新品種白桃、白鳳になったといわれている。今、向小学校で、百年の時空を超えて、伝十郎桃が蘇えろうとしている。君たちはその歴史的瞬間に立ち会っている。何と素晴らしいことである!」と述べました。

◎平成31年予算審査特別委員会議事録より
<市議会予算審査特別委員会 伝十郎桃地域文化財認定について質問>
2019年3月6日(水)
◆飯塚正良
まず、地域文化財について教育次長に伺います。昨年度、平成29年12月、川崎市の地域文化財として地域の文化財を顕彰する制度が発足しました。本制度創設に至った経過と制度の概要、目的について伺います。さらに、地域文化財として決定した内容について伺います。あわせて、決定後の顕彰の具体的内容について伺います。
◎小椋信也教育次長
地域文化財顕彰制度の今後の取り組みについての御質問でございますが、来年度につきましては、市民の皆様に身近な地域文化財の魅力を広く伝え、御理解を深めていただけるよう、地域文化財を紹介するパンフレットの作成を予定しているところでございます。パンフレットにつきましては、地域学習等を通して地域の魅力の再発見に活用できるよう、市内の小中学校等に配付するとともに、各区役所や市民館・図書館、博物館施設等に設置し、多くの市民の皆様に手にとっていただけるようにしてまいりたいと考えております。今後とも地域文化財顕彰制度の効果的な活用により、地域で守られ、伝えられてきた貴重な文化財への市民の皆様の関心を高めていくとともに、文化財を中心とした幅広い交流の輪や地域の魅力づくりが進展されるよう、地域文化財のさらなる活用を推進してまいりたいと存じます。以上でございます。
◆飯塚正良
今回、文化財として藤崎小学校に結実した伝十郎桃が決定されました。明治初期、洋桃と橘早生をかけ合わせた新種に父の名前を命名した伝十郎桃は旧大島村を席巻し、大島一帯は桃の郷と呼ばれたと大島八幡神社の顕彰碑は伝えています。セメント工場の進出で移転を余儀なくされ、多摩川沿いに桃畑は広がり、さきの大戦で桃は生産規制の対象となり、川崎では姿を消しましたが、それが現在の福島の白鳳、白桃になったと言われています。これを植樹する取り組みが川崎区内小学校の9校、1工場事業所、さらには1中学校、さらには先般、中原中学校、西中原中学校へと広がっています。それぞれ台木の花桃に伝十郎桃の穂木を接ぎ木したため、花は咲くけれども、なかなか結実しないのが実態のようであります。そこで、先ほどの答弁にありました栽培管理などへの専門家による指導助言とありますが、経済労働局の農業技術支援センターなどからのアドバイスを受けたいと思いますが、見解を伺います。
◎原田津一経済労働局長
伝十郎桃の栽培支援についての御質問でございますが、藤崎小学校等の伝十郎桃につきましては、平成22年に当時の農業振興センターの農業職職員が技術協力いたしまして、以前からあった桃の木6本に伝十郎桃を接ぎ木したところ、3年後に見事に結実し、現在も大切に育てていただいているところでございます。桃の果実を収穫するには、剪定作業や開花時期の適切な受粉、肥料を施すなどの栽培管理が必要なことから、農業職の職員が助言などの支援を行ってまいりたいと存じます。このような支援は子どもたちに対して農業の楽しさや農作物収穫までの大変さ、さらには食べ物の大切さなどについての理解促進につながるものと考えておりますので、学校や教育委員会と協力して農育を推進してまいりたいと存じます。以上でございます。
◆飯塚正良
今後の取り組みについてでありますが、学校教育の一環として、伝承のための授業、あるいは教材としてパンフレットの作成など幾つか考えられるかと思います。見解を伺います。
◎小椋信也教育次長
地域文化財顕彰制度の今後の取り組みについての御質問でございますが、来年度につきましては、市民の皆様に身近な地域文化財の魅力を広く伝え、御理解を深めていただけるよう、地域文化財を紹介するパンフレットの作成を予定しているところでございます。パンフレットにつきましては、地域学習等を通して地域の魅力の再発見に活用できるよう、市内の小中学校等に配付するとともに、各区役所や市民館・図書館、博物館施設等に設置し、多くの市民の皆様に手にとっていただけるようにしてまいりたいと考えております。今後とも地域文化財顕彰制度の効果的な活用により、地域で守られ、伝えられてきた貴重な文化財への市民の皆様の関心を高めていくとともに、文化財を中心とした幅広い交流の輪や地域の魅力づくりが進展されるよう、地域文化財のさらなる活用を推進してまいりたいと存じます。以上でございます。
◆飯塚正良
ありがとうございました。ぜひ取り組みを進めていただきたいと思います。

<向小に伝十郎桃が実をつける>           2019年7月21日(日)
街を歩いてびっくりしたこと。向小学校に参議院選挙の投票に行った際、職員室前の花壇に行くと、昨年植樹した伝十郎桃が三つ実を付け、袋がかけてある。まだちょっとちいさい。いつ収穫祭をするか校長先生に相談してみたい。

<藤崎小「伝十郎桃」学習会講師で招かれる>     2019年7月22日(月)
藤崎小三上校長から総合的学習の時間で6年生を対象に「伝十郎桃」の由来について話してもらいたいとの依頼があった。
喜んでお受けして、昨日は1日かけてレジュメづくりに励んだ。午前9時50分、藤崎小を訪問すると玄関に「飯塚先生ご苦労様!校長室にお入り下さい。」と案内板が用意されている。
三上先生にレジュメを渡し、早速「伝十郎桃」のでき具合を見学。ちょうど市職労教育支部伊藤執行委員、野口藤崎小用務員も合流する。
写真を見て下さい。立派!立派!大きさは直径8センチ、まるで店頭の白桃と比べても遜色がない。さぞや藤崎小の教職員が愛情こめて丹精してくれたことだろう、感謝多謝。
10:15総合的学習の時間が始まる。6学年全員で120名の生徒が私の話を聞く。昨日仕上げたペーパーに沿って
① 大島八幡神社にある「温故知新」の石碑の由来
② 2008年から始まった「伝十郎桃」を甦えらせるとりくみの経過、特に藤崎小との関わり
③ 地域文化財第1号「伝十郎桃」を甦えらせる意義について、予定時間をオーバーして熱く語りかけた。

反応もよく、担任の先生から「川崎の自慢」という学習の講師としても来てもらいたいとの話をいただいた。
帰ろうとすると、伊藤奈美先生が授業の合間をぬって挨拶に見える。彼女が今年から教育委員会が始めた「地域文化財」の認定申請を進めてくれた先生である。父上は日頃よりお世話になっている。河村良一元病院局長である。こうした大勢の皆さんに支えられて123年ぶりに甦える「伝十郎桃」に感謝したい。
追伸: 今日は時間がなくて明日収穫、食味するとのこと。三上先生から一つ中ぶりの「伝十郎桃」をプレゼントされる。私の事務所の皆さんとテースティング、旨い!

<昭和電工川崎事業所で「伝十郎桃」収穫祭>     2019年7月23日(火)
午後1時、川崎区扇町の昭和電工川崎事業所で、「伝十郎桃」の収穫祭が行われた。
主催は昭和電工川崎事業所総務担当博田豪さん、来賓は昨年11月苗木を寄贈していただいた中原桃の会石子秋夫さん、川崎市経済労働局農業技術支援センター古山和弘係長そして私。
まず私からこれまでの伝十郎桃と昭和電工川崎事業所との関わりについてレクチュアする。2013年、台木の花桃に伝十郎桃の穂木を接ぎ木した。毎年花は咲くが実がならないとのクレーム。中原桃の会から伝十郎桃の苗木をいただき、2016年植樹する。翌年見事に結実し、収穫祭を迎えることになった。ところが、2017年台風で苗木が流され再起不能となった。2018年11月、改めて中原桃の会に依頼して苗木をいただく。今回実をつけたのは10個、そのうち5個は摘木し、4個は落果、最後の1個が残った。この一個を大切にして今日の収穫祭開催の運びとなった。
セレモニーは昭和電工の女子社員が桃の実を捥ぎ、皮をむいて食べ易いようにカットする。ちょっとすっぱいが十分桃の味がするという評価。
昭和電工川崎事業者本館は国の歴史的建造物に指定されている。その庭に100年の時空を超えて甦った「伝十郎桃」はまことに似つかわしい。

<結びに>
 伝十郎桃を地域文化財に認定させる取り組みは毎年花を咲かせ実をつける藤崎小の一人の教師の申請から始まりました。補助金はつかないけれど、市教育委員会の文化財リーフレットに掲載され、加えて経済労働局の花木の専門的知見をいただけるという支援策は伝十郎桃普及運動にとって最高のプレゼントとなりました。
 そして中原桃の会の皆さんの応援は、接木ではなかなか結実しないという技術的限界を超えていく突破口となりました。
 次の課題は学校教育の中で124年の時空を超えて花が咲き、実をつける伝十郎桃の歴史と営みが川崎市の歴史の中で産業化という時代にほんろうされながらしっかりその種は福島に生きているというまさに生きた教材として活用していただけるかです。

© 2018 飯塚正良ホットライン