川崎評論⑤百年の時空を越えて甦える伝十郎桃(総集編)
【はじめに】
明治29年当時の橘樹郡大島村の吉澤寅之助氏が30有余種の桃を交配し一品種を発見し、先代傳十郎の一字を冠しこれを「傳桃」と命名したと大島八幡神社にある碑文「温故知新」には記されています。
あれから125年、伝十郎桃は着実に甦えっています。これまでに2010年川崎評論VOL32、2019年VOL38で復活のとりくみを報告してきましたが、この度その後を編集部より依頼されましたので「総集編」として著しました。

大島八幡神社(川崎区大島)の温故知新の碑
【伝十郎桃復活のとりくみ】
―東大島小創立50周年の記念事業として
伝十郎桃の植樹にチャレンジ(2005年)―
平成17年(2005年)東大島小は創立50周年を迎えました。当時同小に勤務していた上田敏明教諭は伝十郎桃の由来を調べるうちに発見者である吉沢寅之助翁の末裔が大島5丁目にご健在であることにいきつきました。寅之助のひ孫である吉沢庸子さんの聞き取りをつうじて庸子さんの祖父で旧田島町長だった吉沢保三氏の十年日記を明らかにすることになりました。
さらに、大正の末期に大島から姿を消したはずの伝十郎桃が多摩川上流へと移って行き川崎市フルーツパーク(現在川崎市農業振興センター)で花桃の木に接木されていることも分かりました。そこでその穂木(ほぎ)をフルーツパークよりいただき、校庭にある花桃の台木に創立50周年記念事業として接木することにしました。この接木は成功しましたが、残念ながら実がなりませんでした
創立50周年記念接木の風景
【地域ぐるみの新たな挑戦(2008年)】
このことをうけて新たな桃戦が始まりました。地域、小学校、市職員労働組合、市農業振興センターの4者協働で「伝十郎桃」を復活させ、地域及び小学校の農業理解を促進する事業がスタートしました。
この事業目的として、川崎区は明治の頃、桃や梨の産地であり、その後、開発が進み現在では川崎区に果樹栽培は無くなってしまいました。そこで川崎区で地元発祥の桃“伝十郎”を学校の植栽として復活させ、地域や小学生に対し、川崎区では昔桃や梨など果樹の産地として農業が行われていたことを知ってもらうために本事業は始まりました。
川崎区内の東大島小、向小、渡田小、田島小、藤崎小、殿町小6つの小学校に平成20年(2008年)10月、「伝十郎桃」の苗木は絶滅しているため、花桃の苗木を植樹し、平成21年(2009年)3月茨城県つくばにある独立行政法人農業生産物資源研究所ジーンバンクから「伝十郎桃」の穂木を取り寄せ、接木しました。
教育委員会によれば、2年目にあたる平成22年(2010年)すべての学校で成功、東大島小8ヶ所のうち1ヶ所、向小6ヶ所のうち1ヶ所、渡田小5ヶ所のうち1ヶ所、田島小10ヶ所のうち3ヶ所、藤崎小12ヶ所のうち2ヶ所、殿町小10ヶ所のうち2ヶ所で新芽が確認されたそうです。教育長は私の2010年6月市議会質問に答えて「100年と言う歳月を超えて接ぎ穂から花が生まれ、次世代につながっていくという生命力のすばらしさを子どもたちに教えたい」と述べています。
さらに経済労働局長は専門家の見地から3年程度は結実してもすべて摘果して実の栄養を枝木にわたらせ、木が大きくなる3年後には伝十郎桃の果実の収穫が可能と答弁しています。
そして阿部市長も3年後立派な実がなり福島名産の桃と食べ比べができるように見守って生きたいと答えました。
百年の時空をこえて今川崎に「伝十郎桃」が甦ろうとしています。
―甦える伝十郎桃、感動の出会い
(2013年)―
NHK横浜支局から電話がありました。伝十郎桃の接木(つぎき)が始まって3年、ことわざにも桃栗3年柿8年とあります。そろそろ実がなるのではないですかという指摘。早速川崎区内10ヶ所に接木した責任者に連絡をとると藤崎小で実を結んだという話が入ってきました。
用務員の原田さんから伝十郎桃の待望の写真が届きました。区内10校の学校用務員さん、そして川崎市経済局農業技術支援センター久延さんに感謝多謝。
―藤崎小、百十四年ぶりの「伝十郎桃」の復活を祝う会開催(2013年7月28日)―
午前9時から藤崎小で「伝十郎桃の復活を祝う会」が開催されました。
この間川崎市教育委員会・経済労働局・藤崎小が中心となって伝十郎桃の収穫祭の準備を進めてきました。
明治29年(1897年)伝十郎桃は吉沢寅之助氏によって30余種の桃の交配によって発見され、先代の名を冠にした「伝桃」は全国を席巻することになりました。それから百十四年、見事に藤崎小で伝十郎桃は実を結びました。
試食した伝十郎桃は甘酸っぱく、1個千円もする岡山白桃に負けない味をだしていました。試食した6年生の須山まなみさんはまちの八百屋の店頭で売ってもらいたいと感想を述べました。福島・山梨・岡山の桃を提供していただいた川崎区追分の橋本商店橋本幾男社長は、桃づくりの生産者にお願いして店頭に並ぶよう努力したいと述べました。
藤崎小柴嵜校長も、生徒との共同作業でもっとおいしい伝十郎桃を作りたいと来年に向けた抱負を述べました。
藤崎小の案内板と満開の伝十郎桃2019年4月12日
伝十郎桃学習会(藤崎小)2019年7月22日
―伝十郎桃 新たな展開へ(2016年)―
2016年、二ヶ嶺用水中原桃の会(会長東正則市会議員)との出会いが「伝十郎桃」の普及にとって新しい段階を迎えることになりました。これまで教育委員会・経済労働局及び川崎市職労教育支部の皆さんの協力を得て市内10か所近く伝十郎桃の穂木の接ぎ木を普及していただきました。昭和電工博田豪総務担当から、残念ながら花は咲くけれどなかなか結実しないという指摘があり、新たに中原桃の会が育てた伝十郎桃の苗木を植樹することになりました。藤崎小は接木の成功例です。
―伝十郎桃植樹式 昭和電工川崎事業所 (2016年2月16日)―
午前9時、伝十郎桃植樹式が川崎区扇町の昭和電工川崎事業所で行われました。
海寳(かいほう)益典昭和電工川崎事業所長と私とで植樹しました。
実は3年前、昭和電工には2本伝十郎桃を花桃の台木に接ぎ木しましたが、花は咲くが結実しない状態が続きました。そこで二ヶ領用水・中原桃の会が苗木から育てた樹齢3年の伝十郎桃を昭和電工に寄贈していただき、植樹式となった次第です。海寳所長も愛情を持ってしっかり育てます。結実した暁には福島桃と食べ比べできるよう頑張りたいと述べました。
植樹式(昭和電工川崎事業所)2016年2月16日
―昭和電工川崎事業所で伝十郎桃収穫祭(2019年7月23日)―
午後1時、川崎区扇町の昭和電工川崎事業所で、「伝十郎桃」の収穫祭が行われました。
主催は昭和電工川崎事業所総務担当博田豪さん、来賓は昨年11月苗木を寄贈していただいた二ヶ嶺用水中原桃の会石子秋夫さん、川崎市経済労働局農業技術支援センター古山和弘係長そして私。
まず私からこれまでの伝十郎桃と昭和電工川崎事業所との関わりについてレクチュアしました。2013年、台木の花桃に伝十郎桃の穂木を接ぎ木しました。毎年花は咲くが実がならないとのクレーム。中原桃の会から伝十郎桃の苗木をいただき、2016年植樹しました。翌年見事に結実し、収穫祭を迎えることになりました。ところが、2017年台風で苗木が流され再起不能となりました。2018年11月、改めて中原桃の会に依頼して苗木をいただきました。今回実をつけたのは10個、そのうち5個は摘果し、4個は落果、最後の1個が残りました。この一個を大切にして今日の収穫祭開催の運びとなりました。セレモニーは昭和電工の女子社員が桃の実をもぎ、皮をむいて食べ易いようにカットする。ちょっとすっぱいが十分桃の味がするという評価。昭和電工川崎事業者本館は国の歴史的建造物に指定されています。その庭に百年の時空を超えて甦った「伝十郎桃」はまことに似つかわしい存在となりました。
伝十郎桃収穫祭(昭和電工川崎事業所)2019年7月23日
2020年収穫の伝十郎桃(昭和電工川崎事業所)
―二ヶ領用水中原桃の会副会長津脇梅子様より
お手紙をいただきました。―
―伝十郎桃 二ヶ領用水中原桃の会の取り組みについて―
(2022年2月7日)
二ヶ領用水中原桃の会副会長 津脇梅子
伝十郎桃との出会いは川崎市多摩区にある「川崎市農業技術センター」より、伝十郎桃の苗木15本を、前会長東正則氏が譲り受けたことから始まります。
そして伝十郎桃を甦えらせた川崎区の飯塚市議の働きかけで昭和電工・川崎市立向小学校等に植樹させていただき、川崎区での二ヶ所の植樹に弊会も協力させていただきました。
中原区では農業技術センターからの苗木を下小田の畑で育てました。
2018年(平成30年)33回二ヶ領用水中原桃まつりにて、中原区上小田中神地公園に1本。等々力緑地公園入口桃並木脇に1本植樹
2021年(令和3年)2月17日 川崎市立中原小学校・創立120周年の記念として(実際には植樹の良い時期として前倒しで)1本植樹
2021年(令和3年)2月、中原区宮内高願寺に2本寄贈(昔高願寺では、桃など果樹を寺の境内に植え収益事業として栽培していた歴史があります)
今後も戦前、西の岡山、東の神奈川なかでも中原の美味しい桃の歴史を後世に伝える為区内に弊会では「果実の桃」「花桃」を広めていきたいと考えています。
【伝十郎桃の現状について(2022年1月17日)】
市職労教育支部学校部会長伊藤昇さんによれば東大島小は所在不明、大島小も所在不明。確認できたのは田島小。実は小さいが結実し、成長していると思われます。
向小は花と実が両方なりますがすぐに落ちてしまう。余り成長していません。
渡田小は確認、実はなりますが伝十郎桃とはちがう桃のようです。
改めて川崎区内の植樹・接ぎ木の現状をチェックした上で今後の方針を決める段階に入ったと思います。