川崎評論⑥首里城に甦える惣之助の詩碑Ⅲ


9月8日虎瀬公園から首里城公園に移設完了 背後は首里城正殿(現在再建中)左に回ると守礼門
横に設置された説明板 日本語 英語 中国語

―那覇市からうれしい便り―(2021年9月12日)
2021年9月12日那覇市から嬉しい便りが届きました。佐藤惣之助詩碑が虎瀬公園から元の首里城下に戻ったとのことです。
長年移転を進める運動にとりくんで来られた山川宗徹さんからの便りです。写真も添えられています。
念願が実現しました。城間幹子那覇市長をはじめ久高友弘市議会議長、移設運動を推進してこられた山川宗徹さん、そして呼応して川崎の地から支援の声を挙げた佐藤惣之助顕彰会・川崎今昔会、川崎沖縄県人会、川崎市議会の皆さんの総力が本事業を実現させました。

【惣之助詩碑移転について】
川崎が生んだ詩人佐藤惣之助の詩碑がようやく首里城下に戻ってきました。50年前川崎・那覇市を結ぶ架橋として川崎市民の浄財で当時首里城下にあった琉球大学の構内に設置されました。
その後2022年の首里城復元にあたり、那覇市郊外に移転されましたが、2017年那覇市議会本会議において首里城公園への移設に関する陳情が全会一致で採択され、2021年10月22日工事が完了しました。

令和4年5月20日には那覇市との友好都市締結を記念して移設完了記念式典を開催する予定となりました。
そこで記念式典では返礼として川崎市側は何を準備しているのか、市民文化局長に質しました。
市民文化局長は市民文化大使である民謡歌手の伊藤多喜雄さんにお願いし、川崎と沖縄にゆかりのある惣之助作詩の「川崎音頭」、「美わしの琉球」などを披露していただく予定と答えました。さらに喜屋武靖監督が製作中の「佐藤惣之助詩碑 川崎・那覇・沖縄100年の絆」の上映に必要な協力を行うと答えました。5月20日、50年前と同様に佐藤惣之助詩碑が首里城に甦ります。
市長に今回の取組みを一過的に終わらせることなく永続的に両市の関係を深めていく支援策を質しました。
市長は詩碑の移設を契機としつつ、沖縄の芸能文化に親しむ機会の創出や相互理解を深める活動への支援を行ない、充実した交流を末永く続けていくと答えました。
川崎区長に江戸時代に東海道川崎宿を経由して行われた琉球王国からの使者―江戸上りを再現しようという提案に対し東海道かわさき宿起立400年に実現できないか質しました。
川崎区長は江戸上りに関係する川崎沖縄県人会や川崎沖縄芸能研究会と調整を行ない、可能性を追求すると答えました。
2024年の東海道400年に向けて「江戸上り」が近づいてきました。

―惣之助の映像化今秋公開―
沖縄県那覇市の虎瀬公園に移設されていた佐藤惣之助の詩碑が首里城公園に戻されました。
那覇市では惣之助詩碑の移設完成を記念して5月20日盛大に式典を計画しています。
今回惣之助の功績と川崎・沖縄百年の歴史を広く知ってもらおうと、日本映画学校(現日本映画大学)出身の喜屋武靖(きゃんやすし)監督が映画製作に取り組んでいます。

作品は「佐藤惣之助詩碑「川崎・那覇・沖縄百年の絆」と題し、詩碑のエピソード、背景、川崎と那覇・沖縄の百年を越える交流史を3段階に分けて紹介しています。
第1段は那覇市歴史博物館の企画展で1月7日から上映しています。第2段は5月20日惣之助の詩碑移設完成記念式典、第3段は川崎市と那覇市で今秋公開予定で、完全版となっています。


ポスターを手に宣伝する関係者

佐藤惣之助は1890年川崎区砂子で生まれ「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」や沖縄で広く愛唱されている「美わしの琉球」などの作詞を手掛けました。
詩碑は1959年に首里城下にあった琉球大学敷地区に建立されましたが、同敷地に首里城が復元される工事に伴い虎瀬公園に移設されました。
その後元あった首里城下に戻そうという運動が展開され、2017年那覇市議会で首里城公園への移設が全会一致で採択されました。
現在5月20日記念式典に向けて川崎市民訪問団の来訪が予定されるなど急ピッチに惣之助の再評価の声が高まっています。

在りし日の惣之助

<佐藤惣之助詩碑の横に設置された説明文より>

神奈川県川崎市出身の詩人、佐藤惣之助(さとうそうのすけ)の詩碑。
惣之助は、1890年生まれ、1922年6月に沖縄・台湾を旅し、同年12月に『琉球諸嶋風物詩集(りゅうきゅうじょとうふうぶつししゅう)』を上梓した。琉歌や琉球の言葉を取り入れた詩と紀行文を収めた詩集は、琉球の風物・文化を伝える異色作として詩壇で名声を博した。惣之助はその後も随筆などで沖縄を紹介し、上京してきた伊波南哲(いばなんてつ)、津嘉山一穂(つかやまいっすい)など沖縄出身の若い詩人を育成した。作詞家としては『阪神タイガースの歌(六甲おろし)』や『美わしの琉球』などの作詞も手掛けた。1942年5月15日死去、享年53(満51歳)。
戦後、川崎市民から、沖縄と川崎を結ぶ友情の絆、そして戦火で疲弊した沖縄県民の希望の灯となるよう惣之助の詩碑が贈呈され、首里城跡(当時は琉球大学構内)に設置された。惣之助の17回忌にあたる1959年5月15日に除幕式が行われた。
詩碑は、沖縄陶芸の伝統維持と紹介に取り組んだ川崎市出身の陶芸家濱田庄司(はまだしょうじ)が惣之助の詩「宵夏」冒頭の3行を陶板に刻み、壺屋の陶工に作製させた赤瓦を織り込んだヒンブン(魔除けの意を持つ琉球式仕切り塀)型台座にはめ込んだ。
詩碑裏に碑誌を記した川崎市の古江亮仁(ふるえりょうにん)は、那覇市への詩碑贈呈建立に尽力し、沖縄県出身者によって川崎市で継承されてきた沖縄芸能を1952年に川崎市で、1954年に神奈川県で無形文化財指定へと導いた。これらの関係性もあり、1996年川崎市と那覇市との間に友好都市協定が結ばれた。
1992年に復帰20周年を記念した首里城復元により、惣之助詩碑は、虎瀬公園(とらせこうえん)内(首里赤平町)に移設された。その後、詩碑の再評価がなされ、2021年に首里城公園の一角に再移設された。

 

 

 

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