川崎評論② 首里城に甦る佐藤惣之助の詩碑

那覇・川崎市民の協力で、もとの首里城公園に戻そう!

今から3年前、沖縄から届いた一通の手紙から、我々のとりくみは始まった。佐藤惣之助の詩歌碑が首里城の復元に伴い遠方の虎瀬公園に移転を余儀なくされ、結果として全国から首里城を訪れる270万人の観光客、なかんずく修学旅行生に詩歌碑を観ていただけない現実を知らされる。
川崎沖縄県人会比嘉孝会長、川崎今昔会斉藤文夫会長は直ちに川崎市議会に対し要請を起こし、60名全議員の署名をいただく。川崎市議会全員署名が那覇市議会への強い後押しとなったと山川宗徹「佐藤惣之助の詩歌碑の移転を考える会」代表は言う。
そして昨年10月4日那覇市議会は全会一致で歌碑の首里城公園への移設を議決した。本年6月議会で移設に伴う予算審議が行われる予定。今川崎ではこの竣工に向けて沖縄ツアーが計画されている。
惣之助の詩歌碑の移設運動は、新たな段階に入った。惣之助のこれまでの再評価と惣之助と詩歌碑の作成者濱田庄司に光を当てた古江亮仁の果した役割を改めて見直したいと考えている。

①「佐藤惣之助の詩歌碑」の移設は、沖縄から届いた一通の手紙から始まった。

川崎沖縄県人会の皆様
川崎市民の皆様

初めてお手紙を差し上げます。私は現在「佐藤惣之助の詩歌碑」の移設を考える会の発起人代表を務めている山川宗徹と申します。
琉球政府東京事務所・沖縄県東京事務所に十年間勤務しておりました。その折、泉川寛先生と一緒に沖縄出身の少年少女の就職関係の仕事をした思い出があります。又川口喜代子先生にもお目にかかり、いろいろとお世話になりました。
この度、「惣之助の詩歌碑」の事について皆様にお願いする縁が出来ますことも偶然ではない気がしております。

御承知のとおり佐藤惣之助はご当地、川崎の御出身で、大正十一年五月~七月に南東諸島を巡遊の後大正十一年十二月「琉球諸島風物詩集」を刊行され、その中に「しづかさよ 空しさよ この首里の都の宵のいろを誰に見せやう、眺めさせやう」の詩碑が、昭和三十四年五月十五日の惣之助の命日に首里城跡(クンダ城)の旧琉大構内に建立されました。
この「宵夏」の詩が刻されている陶板は同じく川崎出身の人間国宝濱田庄司先生が壺屋の窯で焼いたものです。
台座は勝連産のトラバーチンで積み上げ、琉球漆喰を赤瓦を用いて製作されたもので、全国唯一の構造の詩碑であります。
この詩碑は全て川崎市民の寄付による浄財で製作され、那覇市へ贈呈されたものであります。
川崎市民の沖縄に寄せる温かい心の贈り物がこの詩碑にはいっぱい詰まっております。川崎沖縄文化同好会代表の古波津英興さん、川崎文化協会理事の古江亮仁さんはじめ、詩碑製作にご尽力賜った関係者の皆様に改めて深甚なる感謝と御礼を申し上げるものであります。
詩碑の除幕式には、濱田庄司先生ご夫妻、千葉清治市教育長(市長代理)、青木喜市市議会議長(詩碑を贈る会会長)、古江亮仁氏、古波津英興氏、等が出席され、沖縄側は当間重剛行政主席、安里積千代立法院議長、安里源秀琉大学長、山里永吉文化財保護委員長、豊平良顕沖縄文化協会会長等の沖縄の各界の代表者が出席され、その他の文化人や琉大の学生等四百人余の参加を得て盛大に執り行われました。
さて、このような「惣之助の詩歌碑」が首里城の復元に伴って首里城跡からの撤去となり、平成四年三月、首里城から約一キロ離れた首里赤平町の虎瀬公園(那覇市管理の小公園)の片隅に移設されています。
現在、首里城には年間二百七十万人余の観光客が訪れます。県内や県外の修学旅行生も訪れます。しかし、誰一人としてこの詩碑を訪れる人はおりません。
那覇市民も県民も惣之助の事も詩碑の事もすっかり忘却の彼方にしかありません。いや、まったく知識のかけらも持ち合わせていないのです。
こんなことがあってよいはずがありません。
惣之助、濱田庄司、川崎市民、建立にご尽力された方々の思いを考えた時に、このまま放置してよいはずがありません。
私たちは、琉球・沖縄の歴史・文化に誇りを持つ有志達が相集い、「佐藤惣之助の詩歌碑の移設を考える会」を結成し、署名・押印を取り揃えて、那覇市議会議長と那覇市長に対して、首里城内、又は首里城近郊に移設するよう陳情する準備をしているところであります。
今や首里城は歴史遺産にとどまらずソフトな観光資源を必要としています。
ホテルを始めハードな観光資源がどんどん出来ていく中に、人の心を繋ぐソフトな観光資源がほとんどありません。沖縄と県外や外国の来県者との縁を結び心の絆を深くする精神性を大切にしたいと思います。
是こそ守礼之邦の民として、長い年月に培われてきた歴史・文化・自然を尊ぶ沖縄人(うちなーんちゅ)の神髄だと思います。
惣之助は首里城や首里の街並みを眺め、古の琉球王朝に想いを馳せて「宵夏」の詩を詠んだと言われています。惣之助や濱田庄司の思いや川崎市民の思いを考えると沖縄県民の一人として自然に胸に熱いものがこみ上げてまいります。
この詩碑がより多くの人々の目に触れる所に移設できた時には、この詩碑を通じて惣之助や濱田庄司の心が人々の琴線に触れて味わうさざ波の立つ感動を憶えることと思います。又この詩碑が子供達に将来の詩人や随筆家、小説家の自分の姿を重ねてみて、良い刺激や夢を抱かせることにもなることと思います。
過日川崎沖縄県人会会長の比嘉孝さんにお会いし、惣之助詩碑にご案内いたしました。会長も私たちは「この詩歌碑の当事者」であるとのお言葉をお聞きし、大変ありがたく、感動いたしました。その後もメールを頂いたりご協力に対し、感謝申し上げております。
つきましては、川崎沖縄県人会の皆様、川崎市長さん始め、川崎市御当局、川崎市民の皆様の「惣之助の詩歌碑」の移設への賛同と署名や手紙によるアプローチを寄せていただきますよう発起人皆に替わり心を込めてお願い申し上げます。有難うございました。

2016年8月5日(金)
佐藤惣之助の詩歌碑の移設を考える会
発起人代表 山川宗徹 拝


昭和34年5月 詩碑の除幕式の際の記念写真
前列左から 古江亮仁(川崎市文化協会理事)、青木喜市(川崎市議会議長)、濱田庄司(陶芸家)、
川崎市教育長(千葉清治) 後列左から 岡田清慶(画家)、千葉健三(仙台屋社長)、古波津英興(川崎沖縄文化同好会代表)

 

② 比嘉会長から協力依頼をうける。
私のダイアリーによれば
2016年8月12日(金)
【川崎沖縄県人会比嘉会長から那覇市の佐藤惣之助詩歌碑移転協力依頼受ける】

比嘉会長から電話をいただく。相談したいことがあるという。伺うと、那覇市に1959年に建立された佐藤惣之助詩歌碑が首里城の改修のため、1992年、首里城より離れた公園に移転し、現在は訪れる人もなく閑散としているという。そこで年間270万人の観光客が訪れる首里城近くの適地に移転を那覇市に要請したいと思うがどうかとの相談である。
那覇市には、すでに「惣之助の詩歌碑の移設を考える会」が立ち上がり、那覇市長宛の陳情運動が始まっている。佐藤惣之助のご令息もこの運動に賛同の意を表している。
関連の資料をいただき、早速、市の関係者と相談をすることとした。

③ この依頼をうけて、川崎側では、同年9月川崎市観光協会・川崎市今昔会・川崎沖縄県人会が連名で川崎市議会議員60名に対して要請を行なう

平成28年9月

川崎市議会議員の皆様へ

川崎市観光協会会長 川崎市今昔会会長 齊藤文夫
川崎沖縄県人会会長 比嘉孝

「佐藤惣之助の歌碑」の移転を促進する要請について(お願い)

日頃より市民の福祉の充実と暮らしの安定に向け、御奮闘いただいております川崎市議会議員の皆様に、敬意と感謝を申し上げます。
先般、那覇市に在住する知人より、川崎市議会議員の皆様のお力をいただけないかと相談を受けました。
那覇市首里城に濱田庄司先生製作による「佐藤惣之助の詩碑」がありました。この詩碑は、川崎市と那覇市の交流、絆の証として、川崎市民の寄付により製作され、那覇市へ寄贈されたものです。
この詩碑が首里城整備事業によって、平成4年、観光客が来訪しない虎瀬公演に移設されほとんど一目に触れていないのが現状です。
このような状況を鑑み、地元那覇市では、再度首里城付近の観光客が来訪する適地に移設して欲しいという運動が始まっています。
奇しくも今年は川崎市と那覇市が友好自治体協定を結んで二十周年の記念の年です。川崎市議会議員の皆様におかれましては、こうした那覇市民の「心」にご賛同いただき、那覇市長及び那覇市議会(議長)に以下の要請文をご提出いただきますようお願いします。

④ これに対して早速議会より反響あり、私のダイアリーでは、
2016年9月30日(金)
【沖縄県那覇市にある佐藤惣之助詩碑の移転を那覇市長・議長に要請する議員署名を各会派団長に】

先日、川崎沖縄県人会比嘉会長から那覇市に今から56年前、川崎市民の寄付により、川崎市と那覇市の交流・絆の証として那覇市首里城の一角に佐藤惣之助の詩碑が設置された。ところが平成4年、首里城改修に伴い、観光客が来訪しない虎瀬公園に移設され、殆んど人目に触れていない現状となっている。
今那覇市では、再度首里城付近の観光客が来訪する適地に移設して欲しいという運動が起こっている。くしくも本年両市は友好都市提携20周年の記念すべき年を迎え、那覇市民の声に連帯しようという署名を各会派団長に回ったところ、大変いい感触をいただいた。

⑤ 議会では60名全員が署名し、那覇市長・那覇市議会議長宛に要請書を送達することになる

平成28年10月

那覇市長 城間幹子
那覇市議会議長 金城徹 様

                要請書

那覇市虎瀬公演に設置されている「佐藤惣之助の歌碑」を56年前に設置された首里城付近の適地に移転されるよう要望します。

  会派                議員名

⑥ この経過を踏まえて飯塚正良は同年12月定例市議会で一般質問を行なう。
議会議事録によれば

平成28年 第4回定例会―12月20日】
(飯塚正良)次に、川崎が生んだ詩人佐藤惣之助の歌碑移転の経過について伺います。
10月、川崎市観光協会、川崎沖縄県人会連名によりまして、沖縄県那覇市虎瀬公園にある詩人佐藤惣之助の歌碑を、もともと設置されていた首里城近くに移転促進を求める署名要請が市議会にございました、60名全員で署名をさせていただき、その結果、現在開会中の那覇市議会本会議において、12月12日、2名の市議の質問に対し、担当部長は、これまでの姿勢を改め、首里城外郭の県の公園管理地を候補地として沖縄県と交渉する旨を明らかにいたしました。そこで本市として、友好都市である那覇市とは、この間の経過についてどう確認をしているのか伺います。
(市民文化局長 唐仁原晃)佐藤惣之助歌碑の移転の経過についての御質問でございますが、この歌碑は、昭和34年に川崎市民の浄財で制作し、那覇市に贈呈され、当時の琉球大学、現在の首里城敷地内にありましたが、首里城の復元工事に伴い、平成4年に1キロほど離れた公園内に移設されたと伺っております。去る12月12日に開催されました那覇市議会本会議において、那覇市当局が、移設を望む陳情を受け、移設候補地を管理している沖縄県と移設について許認可を含めた協議を進めるとともに、現在歌碑周辺を清掃いただいている地元自治会の皆様とも移設について話し合う所存であると答弁されたと伺っております。一方で、自治会の方々の理解を得る必要があることや。沖縄県との協議においては、公園の占用条件に課題があると考えていると答弁されたとのことでございます。以上でございます。
(飯塚正良)12月12日の那覇市議会では、議員の一般質問に対し、首里城外郭の県の公園管理地を候補地として県にも伝えてあり、今後、許可の協議の入ると担当部長は答弁をしています。そこで市長、議会は既に意思表示をさせていただきました。友好都市の市長として、川崎市民の意向を伝え、那覇市の背中を押してあげるべきと考えます。市長の見解を伺います。
(市長 福田紀彦)歌碑の移転についての御質問でございますが、まず、この間、那覇市民の皆様を初めとする多くの方々が歌碑の移転に向けて御尽力されていることに敬意を表したいと存じます。移転促進を求める陳情に市民と市議会議員の皆様が署名され、那覇市議会で審査されておりますが、沖縄県や地元自治会との調整も必要であり、移転の実現に向けては課題もあると伺っているところでございます。当該歌碑の移転につきましては、これまでも那覇市が県等とさまざまな調整を行ってきたところでございますので、本市といたしましては、今後ともその推移を注視してまいりたいと存じます。以上です。

⑦ 2017年5月、川崎市議会文教常任委員会は行政視察終了後那覇市虎瀬公園にある佐藤惣之助詩歌碑を視察することになる

2017年5月11日(木)【市議会文教常任委員会二日目 沖縄市行政視察終了後、那覇市虎瀬公園にある佐藤惣之助詩歌碑視察】

市議会文教常任委員会二日目、マイクロバスで沖縄市にむかう。渋滞もなく約40分で到着。早速視察調査に入いる。テーマは沖縄市における平和教育、そして2020年東京オリンピック外国選手団誘致にむけたスポーツコミッション事業について。
それぞれ沖縄市らしいとりくみである。特に沖縄市は琉球空手の発祥地ということもあり、ニュージーランド空手選手団のキャンプ地の契約を先月結んだばかりという。昨日の沖縄県のスポーツコミッション事業に関する説明では、プロ野球の春の巨人軍のキャンプが約100億円の経済効果があると言っていた。沖縄市の同じく春の広島カープキャンプでは、担当者は約6億円といっていたが、もう少しあってもいいのではという指摘が橋本委員からあったが、控え目な担当者である。
終了後、那覇市虎瀬公園にある佐藤惣之助の詩碑の視察にむかう。到着するとすでに「佐藤惣之助の詩碑の移設を考える会」の山川代表や元副議長自民党の久高トモヒロ議員はじめ3名の那覇市議会議員が、待ち受けている。
早速山川代表から、3月沖縄県副知事に会い、那覇市より要請があれば、首里城付近の県有地を提供する用意があるとの回答をえた。そこで那覇市に県への要請書をお願いしているとの最近の情報をいただいた。
今回川崎市議会文教委員会は川島委員長、斉藤副委員長など10名の委員が現地を視察したことが少しでも那覇市のお役に立てたらとの想いで帰途についた。


山川代表

⑧ 一歩前進
2017年9月10日(日)
【沖縄那覇市佐藤惣之助記念碑を移転する運動一歩前進】

山川宗徹さんからメールが入った。それによると、沖縄県土木建築部長より、首里城公園の県管理地への移設について「認めるにやぶさかではない」との回答を引き出したそうである。
ところが、那覇市の事務担当者のところでは承諾が得られず難渋していた。そこで久高市議から副市長に直談判してもらったところ、副市長自ら現場を確認して県と協議することになった。
一方議会陳情もいよいよ厚生経済常任委員会で審議が始まるとのこと。先日就任した平良委員長に面談すると、委員会での採択を約束してもらった。時間はかかるが、忍耐強く頑張るという。チバリヨ―!

「佐藤惣之助詩歌碑の移設を考える会」発起人代表山川宗徹さんからメールをいただきました。(以下参照)

コメントありがとうございます。那覇市事務担当者の県への協議が折り合いませんでしたので、我々が副知事に会って知事への要請書を提出し、その場で副知事から首里城公園の県管理地域への移設を認める返事を頂きました。担当の土木建築部長からも「認めるにやぶさかではない」との回答を引き出しました。ところが那覇市の事務担当が求めているところでは承諾が得られないとの事で難渋していましたので、久高議員から副市長にじかに談判をしてもらいましたところ、副市長自ら現場を確認して県と協議をすることになりました。県はけっして拒否はしておりません。県の提起するところに那覇市が承諾すれば実現することです。しばらく協議が続くと思います。陳情は那覇市議会厚生経済常任委員会に付託されますので、先日新しい委員長(平良詩子)と懇談し、彼女は委員会での採択を約束してくれました。後は議会で議決されたら大きく進みます。時間はかかりますが、忍耐強く頑張ります。今後ともバックアップをお願いを申し上げます。

⑨ 那覇市市議会本会議は「佐藤惣之助詩歌碑」の首里城公園の移設陳情を全会一致で採決する
2017年10月4日
【那覇市議会本会議で「佐藤惣之助詩歌碑」の首里城公園への移設陳情が全会一致で採択】

「佐藤惣之助詩歌碑の移設を考える会」発起人代表、山川宗徹さんから手紙が来ました。(以下参照)
本日10月4日の那覇市議会本会議で「佐藤惣之助詩歌碑」の首里城公園への移設の陳情が10月2日の厚生、経済常任委員会で、全会一致で採択された通り議決されました。これまでの川崎市議会議員60名全員の署名による要請や川崎沖縄県人会の働きの賜物で深く感謝を申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
実現まで身命を賭して頑張ります。川崎市議会の全議員に対し、深甚なる感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2017年10月4日
佐藤惣之助詩歌碑の移設を考える会
発起人代表 山川宗徹

⑩ 川崎市議会松原議長に報告する
2017年10月24日(火)
【那覇市議会、佐藤惣之助歌碑の首里城公園移設陳情が全会一致で採択されたことを市議会松原議長に報告】

川崎沖縄県人会比嘉孝会長と木村和義顧問は松原市議会議長を表敬訪問、私も同席した。訪問した目的は10月4日那覇市議会で「佐藤惣之助歌碑」の首里城公園への陳情が全会一致で採択された報告とこれまでの川崎市議会全員署名への御礼であった。
松原議長はこの碑文に関わった作詞家佐藤惣之助や人間国宝濱田庄司の存在が次第に埋もれていることに危惧を感じている。今回虎瀬公園から首里城公園付近に移設されることになれば多くの人々の目にふれることになり、喜ばしい限りであると述べた。
比嘉会長より、移設が実現した暁には川崎からの修学旅行生たちのコースにぜひ加えてもらいたいとの提案があり、松原議長も協力したいと応じた。
この後、同じく署名運動に協力をいただいた川崎今昔会の会長でもある斎藤文夫川崎観光協会会長を訪問し、那覇市議会全会一致での採択の報告と御礼を述べた。
今後、沖縄県と那覇市との間での交渉に委ねられることになるが、比嘉会長は移設に関わる費用の支援なども求めたいと考えているそうだ。
佐藤惣之助歌碑の移設は新たな段階を迎えた。
⑪ 佐藤惣之助の詩歌碑をもとの首里城公園に移転する寄付金活動始まる
2017年11月12日(日)
【川崎の生んだ詩人佐藤惣之助の詩歌碑をもとの首里城公園に移転する寄付金活動始まる】

午後から教育文化会館で始まった沖縄芸能大会では主催者の要請で会場内にカンパコーナーを設置して、佐藤惣之助の詩歌碑をもとの首里城公園に移設する寄付活動が行われた。
この日1日で6万円近い寄付が集まった。今後沖縄県人会の関係する会合で寄付金を呼び掛けるとしている。


移設に向けた寄付金集め
⑫ 2017年12月3日
【佐藤惣之助を偲ぶ闇汁会で、佐藤惣之助詩歌碑移転に向けた寄付に7万2千円の寄付集まる】

午後5時30分から京急川崎駅前中華料理「煌蘭」で毎年恒例の「佐藤惣之助を偲ぶ闇汁会」が開催された。席上「佐藤惣之助詩歌碑を首里城公園移設に向けた寄付」が呼びかけられ合計7万2千円が集まった。
主催は「川崎今昔会」。会長をつとめる斉藤文夫元参院議員が代表して挨拶する。今年は会員関係者の慶事が続く。今日の講演者の福田市長が市長選で圧勝する。昨日は川崎フロンターレが奇跡の逆転優勝をとげる。そして藤嶋昭先生が文化勲章を受章する。さらに本日の司会者中村宮司が藍綬褒章を受章した。心から祝福したい。
次に昨年の闇汁会で署名をお願いした「佐藤惣之助詩歌碑を首里城公園に移設を求める」陳情は10月那覇市議会で、全会一致で採択された。今後沖縄県那覇市による移設に向けた協議が始まる。実現に向けた第一歩が始まったといえる。ついては移設を応援する寄付をお願いしたいと訴え、カンパ箱を回したところ7万2千円が集まった。
先月の沖縄芸能大会でも多額の寄付金が集まった。今後川崎沖縄県人会はいろいろな所で寄付金を集めようとしている。ご協力をお願いしたい。

⑬ 佐藤惣之助を偲ぶシンポジウム企画着手
2018年2月20日(火)
【東海道かわさき宿交流館で佐藤惣之助をしのぶシンポジウム】

東海道かわさき宿交流館の小笠原功さんから佐藤惣之助をしのぶ連続イベントを企画しているので応援してもらいたいとの要請があった。
小笠原さんの企画では、佐藤惣之助氏の命日である5月15日を前後して5月8日から6月24日まで「佐藤惣之助展」を開催しながら、俳句会やら講演会をうちたいとのこと。20年前琉球大構内から虎瀬公園に移転した詩碑が今回首里城公園に戻ることになった。そこでこの間の取り組みについて伺いたいという。ざっと経過を作ってみることにした。
先日も私の新春の集いで川﨑沖縄県人会の比嘉会長が広報掲示板設置に向けた寄付のお願いをした。おかげさまで8万円を超す浄財が集まった。関心が高い。成功させたい。
⑭ 2018年4月20日(金)【佐藤惣之助の再評価を願う】
“第二回佐藤惣之助詩歌碑から辿る川崎・東京と沖縄友好の絆”が東京交通会館にある沖縄観光コンベンションビューロー東京事務所で開催された。喜屋武映画監督の緻密な調査に驚かされた。佐藤惣之助の存在と業績が見えなくなっている。この再評価の鍵は、沖縄というコンテンツ、もう一つは、惣之助の死後、光を当てた古江亮仁の足跡をたどることであると熱弁をふるっていただいた。私から最近の話、比嘉沖縄県人会会長からは、古江亮仁先生の再評価という基本的な提起が行われた。次は東海道交流館の惣之助のつどいが楽しみである


比嘉会長

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