7月22日(月)<藤崎小「伝十郎桃」学習会講師で招かれる>
藤崎小三上校長から総合的学習の時間で6年生を対象に「伝十郎桃」の由来について話してもらいたいとの依頼があった。
喜んでお受けして、昨日は1日かけてレジュメづくりに励んだ。午前9時50分、藤崎小を訪問すると玄関に「飯塚先生ご苦労様!校長室にお入り下さい。」と案内板が用意されている。
三上先生にレジュメを渡し、早速「伝十郎桃」のでき具合を見学。ちょうど市職労教育支部伊藤執行委員、野口藤崎小用務員も合流する。
写真を見て下さい。立派!立派!大きさは直径8センチ、まるで店頭の白桃と比べても遜色がない。さぞや藤崎小の教職員が愛情こめて丹精してくれたことだろう、感謝多謝。
10:15総合的学習の時間が始まる。6学年全員で120名の生徒が私の話を聞く。昨日仕上げたペーパーに沿って
① 大島八幡神社にある「温故知新」の石碑の由来
② 2008年から始まった「伝十郎桃」を甦えらせるとりくみの経過、特に藤崎小との関わり
③ 地域文化財第1号「伝十郎桃」を甦えらせる意義について、予定時間をオーバーして熱く語りかけた。
反応もよく、担任の先生から「川崎の自慢」という学習の講師としても来てもらいたいとの話をいただいた。
帰ろうとすと、伊藤奈美先生が授業の合間をぬって挨拶に見える。彼女が今年から教育委員会が始めた「地域文化財」の認定申請を進めてくれた先生である。父上は日頃よりお世話になっている。河村良一元病院局長である。こうした大勢の皆さんに支えられて129年ぶりに甦える「伝十郎桃」に感謝したい。
P.S 今日は時間がなくて明日収穫、食味するとのこと。三上先生から一つ中ぶりの「伝十郎桃」をプレゼントされる。私の事務所の皆さんとテースティング、旨い!
<藤崎小「伝十郎桃収穫祭」に寄せて>
1.大島八幡神社「温故知新」碑文より
1868年(明治元年) 洋桃輸入、大島村で栽培を試みるが失敗
1896年(明治29年)129年前
(大島2丁目)吉沢寅之助が30有種を交配、1品種を発見。先代「伝十郎」を桃に「伝桃」と命名。
1915年(大正3年) 皇太子殿下に「伝桃」を献上。農林大臣表彰
2.明治大正期 ・大島村一帯は「桃の里」一面「伝桃」が栽培される。
・河口水門に桃のレリーフ。
・集荷場は大島八幡神社
大正末期 ・田島町埋立地に深川よりセメント工場進出
昭和初期 ・大島一帯の桃栽培は取りやめとなり、大師河原一帯に移る。しかし、多摩川台風により大師の桃栽培も、川崎北部に移る。太平洋戦争時、桃は贅沢品として栽培禁止となる。その後「伝桃」は橘早生として珍重され、今日「白桃」「白鳳」に引き継がれている。今日、福島名産「あかつき」「ゆうづき」の原種となっている。
3.これまでのとりくみ
2010年 伝十郎桃接ぎ木。市内11カ所
(昭和電工1か所 小学校10校)
2013年 藤崎小(柴崎校長)「伝十郎桃の復活を祝う会」
2016年 藤崎小(三上校長)収穫祭
2019年 藤崎小より川崎市「地域文化財」認定推薦があり、第1号認定をいただく
4.意義
100年以上の時空をこえて、川崎の特産物が11ヶ所の小学校と事業所で甦えった。
これから伝十郎桃をさらに育て、後輩たちに語りついでいく生きた歴史教材(文化財)としての意義がある