8月28日(金)<「石敢當建立50周年記念のつどい」が炎天下の中、開催される>
午後2時30分からJR川崎駅前「石敢當」前で、川崎沖縄県人会主催による「石敢當建立50周年記念のつどい」が開催された。
司会を務めた私から、つどいの意義について2点述べた。1959年5月15日川崎市民からの浄財によって首里城跡地(当時琉球大キャンパス)に沖縄をこよなく愛した川崎が生んだ詩人佐藤惣之助の詩歌碑が建立された4ヶ月後、宮古湾台風によって甚大な被害が沖縄各地にもたらされた。
川崎市議会では青木喜市議長の下、救護募金活動が全市あげて決議され、その募金総額は約355万円(当時はアメリカ軍政下にあり1万ドル)に達し、5月4日琉球政府東京事務所長金城増明氏に青木議長から贈呈された。
この「石敢當」は義援金に対する返礼として届けられた。まさに佐藤惣之助、川崎、沖縄は一つであり、そのシンボルこそ「石敢當」であると意義のひとつを述べた。
この石敢當の川崎駅前設置には紆余曲折があったが、10年後1970年9月1日当時の川崎市議会青山正市議長が川崎市交通安全協会会長だったこともあり、交通安全の願いを裏面に刻んで設置にこぎつける。青山議長の決断であった。
今日の記念式典には青木議長の御子息普也氏・茂夫氏、青山議長の御令孫、青山悦郎氏が出席された。50年の時空をこえて川崎・沖縄の絆がしっかりむすばれている証しを示してくれた。この二つの意義をしっかり伝えたいと思う。
※ 当日の写真はクリップボードにあります。
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