5月8日(土)<大師本町 天台宗明長寺を20年ぶりに訪ねる>
―関口亮共(りょうきょう)住職の遺品見学会―
終戦後、シンガポールチャンギ―刑務所で教誨師(きょうかいし)としてBC級戦犯死刑囚に最後の引導を渡した16世住職の故関口亮共氏(1913~1982年)が保管していた受刑者の手記、死刑囚の遺書などを見学した。
こうした遺品は、今から4年前、亮共さんの孫である伊藤京子さんがお寺の本堂の収納庫を整理していて発見した。2017年7月、伊藤さんは亮共さんの教え子で檀家の布川令子元山梨学院大教授と共に、「教誨師関口亮共とBC級戦犯」と題して日本評論社から出版した。
京子さんいわく、亮共さんは教誨師として向き合った2年間はもとより、家族にも戦争の話はしなかったと母から聞いていたそうである。それだけに伊藤さんが発見した資料は、一つ一つが生々しくて、亮共さんの想いを語ってくれる。
―もう一つの参加の動機―
私が今回見学会に参加したのは、20年前に明長寺の兄弟寺である遍照寺の故坂本慈弘住職に同行して、国の重要文化財「辻が花小袖」を見学したことがあり、改めて「辻が花小袖」の卓話を本にしたことを明長寺に報告することが参加目的の一つであった。(川崎ロータリークラブ川崎の歴史 シリーズ温故知新)
何故遍照寺坂本住職が出てくるかというと、「辻が花小袖」について、2001年川崎ロータリークラブ例会卓話として、初代川崎民家園長古江亮仁氏に坂本住職を通じて講師をお願いした経過があり、是非現物を見てみようという事になった。実は関口亮共住職と古江亮仁氏は兄弟であり、亮仁氏は古江家に養子として外に出たために姓が代わったという。したがって古江氏は「辻が花小袖」のエキスパートであった。
―古江亮仁氏のプロフィールと古江亮仁卓話「戦国に花咲く辻が花小袖」―
古江亮仁氏が川崎ロータリークラブで「辻が花小袖」について卓話したのは2010年10月24日、そして同年12月帰らぬ人となった。卓話の冒頭、最後の講演になるかもしれないと言っていたことが本当になるとは信じられなかったと巻頭の私の挨拶で述べている。
(~戦国に花開く辻が花小袖~参照)
―古江亮仁氏のエピソードー
兄弟寺である川崎区中島の遍照寺坂本圭司住職から伺った話では、明長寺の兄弟寺が千葉県山武郡芝山町にある観音教寺。この周辺には多くの古墳、縄文土器が出土していた。この話を聞いた古江氏は早稲田大学考古学研究室を動かして発掘調査を行い多くの文化財を掘り出した。
後年出土した文化財を中心に「芝山古墳・はにわ博文館」を寺の敷地内に開設したとの事である。
ぜひコロナが終息したら行ってみたい。
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