5月22日、23日 <第40回全国地名研大会 川崎で開催>
40年前に谷川健一先生の提唱した地名研究が川崎市の支援をうけ、今日ここに40周年記念大会を迎えた。
式典では福田市長が来賓として挨拶する。地方の時代が叫ばれた40年前、川崎の地に地名研究所が産声をあげた。
以来国では地方分権推進法の制定など地方を取りまく環境は整ってきているが、実態としてコロナ禍により、地方が解決していく力が問われていると訴える。
二日目のシンポジウムで「日本地名研究所の40年のあゆみ」の中で東海道かわさき宿交流館副館長の小笠原功さんは何故地名研究所が川崎に出来たかというと谷川先生が麻生区王禅寺にお住まいだったからという分析をしていた。さらに谷川先生は地名博物館の設置構想を持っていたという。
行政としての関わりからすると1962年(昭和37年)住居表示法が施行され、地番が導入された。道路によって町名は区分けされ、これまでのまちのかたまりが破壊される。こうしたことが全国に地名研究会を生み出す理由にもなった。
さらに「地方の時代」は、これまで文化という領域は教育委員会という定番を外して市長部局に「文化室」を作らせることになった。ここから谷川先生・地名研の付き合いが始まった。
何故行政として地名研を全面支援しなかったかというと「地名学」「民俗学」が予算づけまでオーソライズされていなかったのではないかと指摘する。
二日間の大会をつうじて改めて考えさせられたのは、第一に地名研の影響力、つまり地名学・民俗学が街おこしにつながる可能性を持っていること。例えば柳田国男が発見した岩手県遠野は「遠野物語」のふるさとである。7月23日にはてくのかわさきで「遠野物語」交流祭が開催される。ぜひ参考にしてもらいたい。
第二に、沖縄である。今回も企画の演題として沖縄が取り上げられた。佐藤惣之助も大正末期に沖縄に長期旅行していたことがある。その後の文筆活動に影響を与えた。惣之助-沖縄-谷川健一というトライアングルもおもしろい。