8月12日(日)<戦争犠牲者慰霊・平和祈願式に同席する>

川崎区内には第2次世界大戦で亡くなられた方々の御霊を祭っているのは中島遍照寺しかありません。そこで終戦記念日を前に、戦争犠牲者慰霊碑をお参りすることになりました。
古老の話によれば、大島一帯は米軍の爆撃で焼け野原となり、富士山がよく見えたといいます。しかし、現在の大島市営住宅と隣接する戸建て分譲住宅(旧同潤会アパート)には捕虜収容所があり、ここは爆撃されませんでした。昨年市役所本庁舎が解体される直前に「さようなら本庁舎」が開催された折、なぜ本庁舎は米軍の爆撃に合わなかったかというと、教会に似ていたからとの説明がありました。しかしこの説明は間違っていると思います。なぜ捕虜収容所が残ったのか。私の推測では当時米軍はレーダーを発明し、正確にポイントを指定することができました。市役所本庁舎はGHQの事務所としての利用を考えていたのではないかと思います。

 

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