ほっとらいんニュース 2021新春号
【ごあいさつ】
ご家族お揃いで、つつがなく新年を迎えられましたことをお喜び申し上げます。昨年はコロナに明け、コロナで暮れました。早い収束を望みたいと思います。
本年私は議員生活30年を迎えます。1991年初当選を果たしました。当時ベルリンの壁が市民の力で崩壊し、冷戦構造にピリオドが打たれました。国内では土井たか子社会党委員長が選出され、マドンナブームが起こりました。今日の多様性、女性進出のさきがけでした。その後、立憲民主党が社会党に代わる働く者の政党として生まれ変わりました。まだまだ力が足りず森友・加計問題そして桜を見る会など政権の失政を残念ながら追い込むことが出来ません。生活者の党として、地域に根差してがんばります。
本年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますよう願い年頭の挨拶とします。
第6回市議会定例会報告 一般質問 12月15日(火)質問者
12月定例市議会で飯塚正良議員は 飯塚正良一般質問に立ち、惣之助詩碑の移転、県合同庁舎、市民ミュージアム収蔵品、外国人の生活保護、遍照寺の半鐘里帰りを中心に質問を行いました。
<佐藤惣之助の詩碑の移転>
いよいよ佐藤惣之助の詩碑の移転が目の前に迫ってきました。年明けには工事着工し、年度末までに移築が完成します。除幕式は惣之助の命日である5月15日に決まりました。すでに城間幹子那覇市長から案内状が市長・市議会に届きました。
これをうけて市民訪問団も市川緋佐麿団長を中心に、募集を始めています。市長にようやく実現する惣之助の詩碑の移転を通じて那覇市民へのエールを質しました。
市長は「本市は国の内外から多くの人々が集まって発展してきた多文化共生のまちであり、那覇市とは、大正時代に沖縄から多くの方々が就職されるなど、こうした沖縄にルーツのある市民を中心に様々な交流が行われてきた。来年、市制100周年を迎えるとのこと。両市の友好の絆を一層強め、充実した交流を末永く続けてまいりたい。」と、述べました。
<川崎区富士見の神奈川県合同庁舎について>
神奈川県は神奈川県合同庁舎の再整備を決定し、昨年末事業者にアンケートを募集しました。こうした中、川崎区内にあった神奈川県の建物は県立川崎図書館の移転によって、唯一県合同庁舎のみとなりました。老朽化している川崎区休日急患診療所と一緒に建て替えを検討できないか質しました。
健康福祉局長は、合同庁舎の活用については昨年5月照会を受け局内において検討した結果、休日急患診療所は平成21年度に耐震改修を実施しており、引き続き活用することとし、高齢者・障がい者福祉施設については、敷地面積や立地条件から活用に至らないと判断したと答えました。
県・市協力し事業局の英知を結集して川崎区の中心となるよう要望しました。
<市民ミュージアムの所蔵品について>
6月定例会の一般質問で市民ミュージアムでの被害を免れた収蔵品などの市民開放については検討調整するという答弁がありました。6月定例会以降どう検討してきたのか質しました。市民文化局長は、早速東海道かわさき宿交流館から提案があり、同館が主催する「昔のくらしと道具展」に被災を免れた生活道具などを貸出し展示していただいています。そして大山街道ふるさと館において市民ミュージアムが企画主催する「(仮称)川崎市水道100周年記念展」の開催に向け準備していまを災免れた生活道具などを貸出し展示していただいています。そして大山街道ふるさと館において市民ミュージアムが企画主催する「(仮称)川崎市水道100周年記念展」の開催に向け準備しています。今後につ
いても市内の施設を活用して、市民開放につとめたいと答えました。
次に市民ミュージアム2階には、かつての東海道川崎宿を再現した大型模型(ジオラマ)が設置収蔵されています。
2023年は東海道起立400年です。現在「川崎宿起立400年プロジェクト推進会議」の発足に向け、記念事業の検討が始まりました。その一つとして大型模型を東海道かわさき宿交流館に設置し多くの市民に鑑賞してもらってはどうかと迫りました。
市民文化局長は、搬入方法、費用面などの課題があり、協議が必要になるが、市民に御覧いただく機会の創出に向け検討すると答えました。
いよいよ東海道川崎宿起立400年プロジェクトが始まります。
<遍照寺75年経て半鐘里帰り>
第2次世界大戦中、戦況が厳しくなる中「金属類回収令」が始まりました。川崎区中島の光明山遍照寺は供出に応じ、半鐘が75年という時空を超えて寺に里帰りしました。
太平洋戦争開戦から79年経た12月8日、遍照寺の本堂に於いて半鐘返還式が行われました。飯塚議員も遍照寺お経の会会員として出席しました。議会における一般質問のポイントは以下のとおりです。
●半鐘の仕様
高さ64㎝、最大幅37㎝、重量30㎏の青銅製の小型の釣鐘。表面に刻 まれていた寺や寄進者の名前は供出の際に掻き消されました。さらに供出時の衝撃により「乳(ちち)」という突起の一部が破損しています。
服部文化財課長の説明によれば、青銅研究を専門分野とする職員が掻き消された碑文を1年に亘りデジタル解析し、寄進された年代が江戸中期正徳元年12月、さらに寺院名が光明山遍照寺であることを解読しました。まさに涙の物語であったといいます。
●発見の経過
発見は昨年夏、静岡県富士市の鉄工所が、工場内に残ったものを整理していると、先代が集めていた数個の半鐘が出てきました。厚木市江木の地名が刻まれており、同市の文化財担当者が、残りの半鐘に刻まれていた「河﨑領」の名前から川崎市に連絡が入りました。川崎市教育委員会は半鐘を運び解読を始めました。その結果、「光明山遍照寺」を特定することができました。
●今後のとりくみ
半鐘は本年2月以降、川崎市役所第三庁舎ロビー、市平和館で一般公開を予定しています。
遍照寺の坂本住職は半鐘をこのままの状態で戦争の生きたしるしとして公開するのか、それとも文字が削りとられる前の状態に修復し、寺の宝とするのか迷っていると述べています。
本市としても坂本住職の考えを十分に配慮した対応が必要です。
●市長コメント 「地域の宝に!」
最後に福田市長に感想を質しました。市長は重苦しい社会状況の中、明るい出来事として喜ばしく感じている。この半鐘が地域の宝として、また平和の尊さを伝える鐘として、再び歴史をつむいでいくことを願うと答えました。
地域の宝がまた一つ増えました。
里帰りした半鐘
<外国人の生活保護について>
生活保護は外国人の方が優先されている、したがって「外国人への生活保護費の支給停止」と主張する政治団体がいます。
これらの主張が適正かどうか、厚生省通知は「生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の扱いに準じて保護を行う」としてきたが、現在も有効かと質しました。
健康福祉局長は、当該厚生省通知は現在においても廃止されておらず有効と答えました。
次に在留資格によって、受給対象者についても「日本人より外国人が優先されている」という事実はないという理解でよろしいかと質しました。健康福祉局長は生活に困窮する外国人の保護については日本人と同様に適正に実施していると答えました。
次に市民文化局長に「事実に基づかず、差別意識や偏見を助長する言動については、人種差別を助長するもので許されないことを明らかにしてほしい」と求めましたが、差別意識を助長する言動には適切に対処していると不十分な答弁でした。
差別扇動デマに対して、「ひと言デマだと言ってほしい」と意見要望しました。
トピックス1<昭和電工で伝十郎桃の収穫を祝う> 7 月10 日(金)
午前10時から川崎区扇町の昭和電工川崎事務所で、2年前に苗木で植樹された伝十郎桃の収穫を祝いました。
これまでの伝十郎桃と昭和電工川崎事業所との関わりについてふれておきます。
平成25年(2013年)台木の花桃に伝十郎桃の穂木を接木しました。毎年花は咲くが実をつけないという苦情が寄せられています。
“二ケ領用水中原桃の会”(当時会長東正則市議)のご好意で伝十郎桃の苗木をいただき、平成28年(2016年)植樹しました。翌年見事に結実し収穫を迎えることになりました。ところが平成29年台風で苗木が流され、再起不能となりました。そこで再度桃の会にお願いして平成30年11月(2018年)伝十郎桃の植樹を行いました。そして一昨年、昨年と豊かに実をつけました。二つの桃、甘くておいしい。
収穫された伝十郎桃
トピックス2<かわさき子ども貧困問題研究会ダイバーシティが生み出すもの ―個性が輝く職場づくりを通じて―に参加する> 7月10日(金)
先日、川崎市議会みらい会派控室に安藤肇弁護士と川崎若者就労自立支援センターブリュッケセンター長青池正道さんが訪れ、今日の後援会の出席を依頼されました。すでにZoomは登録済みでしたので開始時間にセットすると主催者とつながりました。
まず冒頭は小田原にある町工場の若手経営者川田俊介氏の話を聞きました。この会社の半端ないダイバーシティを地でいっている金属プレス加工会社です。従業員17名そのうち障がい者6名、外国人3名というからすごい。一人一人の従業員をよく見ています。話の中でその様子が浮かび上がってきます。どう
能力を引き出すか、数勘定の下手な従業員にはAmazonのカウンター3千円を買ってミスを少なくし、読めない数字を書く従業員に対しては、やはり数字の綴り方練習帳を買って毎日の練習が功を奏します。
小田原までちょっと距離がありますがぜひ見学したいと思います。
トピックス3<福田市長、「多彩な惣之助展」視察> 7月28日(火)
7月28日東海道かわさき宿交流館で開催されている「多彩な惣之助」展を、川崎沖縄県人会比嘉孝会長、川崎市観光協会斎藤文夫会長そして今回の惣之助展の目玉ともいうべきプロモーションビデオの製作者喜屋武靖映画監督共々、惣之助の生涯を15分に凝縮したプロモーションビデオを拝見しました。
惣之助は残念ながら、いまだひとにぎりの市民にしか知られていません。惣之助とは義兄弟の縁をいただいた萩原朔太郎の妹周子が惣之助の後添えとして佐藤家に嫁いでいるという事実は余り知られていないことがこのビデオを見るとよく解ります。
実は今、萩原朔太郎を生んだ前橋市文学館で8月1日から「朔太郎と惣之助展」が開催されるとのこと。東海道かわさき宿交流館と前橋文学館の交流も始まりました。
私の故郷前橋と惣之助の故郷川崎の交流がさらに一歩を踏み出したとりくみです。
多彩な惣之助展をバックに
トピックス4<藤崎小上野校長より伝十郎桃の便> 7月29日(水)
昨日、事務所に藤崎小上野校長より電話があり、伝十郎桃が熟しているので児童たちに摘果してもらい皆で味わったが、大変おいしかったとのこと。早速向小、藤崎小を訪問して収穫状況について話を聞きました。
<藤崎小>今年は接ぎ木した桃と植樹した桃に大きな違いが出た。接ぎ木した桃は実をつけたが落下してしまい、一方植樹した桃は結実数も多く、最終的には20個近くが7月に入っても残ったとのこと。味もよく来年が楽しみである。授業の一環として位置づけられたと抱負を語っていただいた。
<向小>今年は10個以上実を結び、袋掛けをしたが、鳥に何個か食べられてしまったが、残った2個を子どもたちと味わったが香りがよく大変おいしかったとのこと。今年はコロナ禍で子どもたちを集めて授業の一環としての取り組みができませんでした。
来年は川崎地域文化財第1号として育成の段階から応援したいと思います。
トピックス5<石敢當建立50周年記念のつどいが炎天下の中開催される> 8月28日(金)
午後2時30分からJR川崎駅前「石敢當」前で、川崎沖縄県人会主催による「石敢當建立50周年記念のつどい」が開催されました。
司会を務めた私から、つどいの意義について述べました。1959年5月15日川崎市民からの浄財によって首里城跡地(当時琉球大キャンパス)に沖縄をこよなく愛した川崎が生んだ詩人佐藤惣之助の詩碑が建立された4ヶ月後、宮古湾台風によって甚大な被害が沖縄各地にもたらされました。
川崎市議会では当時の青木喜市議長の下、救護募金活動が全市あげて決議され、その募金総額は約355万円(当時はアメリカ軍政下にあり1万ドル)に達し、5月4日琉球政府東京事務所長金城増明氏に青木議長から贈呈されました。
この「石敢當」は義援金に対する返礼として届けられました。まさに佐藤惣之助、川崎、沖縄は一つであり、そのシンボルこそ「石敢當」であると。
石敢當を囲んで
トピック6<第49回川崎市文化賞・社会功労賞・スポーツ賞贈呈式行われる> 10月29日(木)
午後2時半から中原区にある川崎市国際交流センターで第49回川崎市文化賞ほか3賞の贈呈式が行われました。
裵重度(ペ チュンド)氏の社会功労賞受賞理由は、差別や偏見のないまちづくりに取り組んできたこと、特に川崎市外国人市民代表者会議の設置や、川崎市多文化共生社会推進指針の策定に尽力したと記されている。ヘイトスピーチ禁止条例(差別のない人権尊重のまちづくり条例)は実効性を持った全国初の条例となりました。
そして「高齢者の星」、全国古希軟式野球大会で2度全国優勝を果たした川崎ブルーソックスが川崎市スポーツ賞を受賞しました。受賞理由はチームの合言葉「グランドでピンピンコロリ」と言うから、今日の課題である、高齢者の健康づくりと生涯スポーツの真髄をつかんでいます。本年も全国大会出場が決まっています。ぜひ3度目の全国大会優勝を期待します。
トピックス7<みらい市議団、福田市長に令和3年度予算要求書を手渡す> 11月18日(水)
午後4時から市長室においてみらい川崎市議団から福田川崎市長に対し、令和3年度予算要求書が手渡されました。
コロナウィルス感染の予防策として毎年行ってきた真夏の業界・団体ヒアリングは昨年に比べると回数は少なくなったが、文書での要望書提出もあり、ほぼ昨年並みの団体からの要求となりました。
市長との懇談で私から一言、川崎区富士見にある神奈川県合同庁舎の建替えについて申し上げました。県は本市から要望が上がってきていないので次の段階に入るというが、もう少し県・市連携して川崎市側の要望を県に伝えてほしいと申し上げました。
市長に要求書を手渡す
トピックス8<ヘイトスピーチ条例制定1周年記念> 12月12日(土)
「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が成立し、1周年を迎えた。本来であれば祝う会を開催したかったがインターネット上のヘイトに対して、川崎市の対応が不十分のため、今日の集会は条例の成果を評価した上で条例運用の問題点を洗い出し、行政に申入れようと主催者から経過報告がありました。
記念講演はジャーナリストの中村一成(イルソン)さん。2009年、10年の京都朝鮮学校が襲撃された事件訴訟から語り始めました。
「法廷でヘイトスピーチを浴びる民事訴訟は負担が大きすぎる。国がヘイターに向き合う刑事規制が必要」、その上で「日本一の川崎市条例を全国に広げよう。国や公が差別を禁じるメッセージを出すことで社会全体の反差別の意識が高まる。」
条例を手掛かりに朝鮮学校の生徒の言葉を引用して「大人たちを信用している」この言葉に応えるために邁進したいと結びました。